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「優しい世界へ」(小林鮎奈さん・その4)

りら子の部屋
ゲスト・小林鮎奈さん(その4)「優しい世界へ」

♬るーるる、るるる、るーるるー♪。りら子の部屋です。
小林鮎奈さんをゲストにお招きしています。
精神科の看護師さんであり、最近、心理師にもなられた。そして、精神疾患を持つ親に育てられた子ども」のお立場から、メディアなどでも発信されています。
前回は、「精神疾患を持つ親に育てられた子ども」が大人になって、どんなことに苦労するのか、体験談をお話しいただいていました。私の容量の悪さから、話題が行ったり来たりしていましたが、ポイントが見えてきたように思います。

前回までの記事は、こちら。
その1・「精神疾患を持つ親と暮らした経験」
その2・「大人になってからが、しんどい」
その3・「話せることが、大切」


「優しい世界」=「ありのままを認め合える世界」であってほしい

― ヤングケアラー論って、一部の人は美談と捉えるし、別の人はケアして当然と捉える。小林さんは、ヤングケラーという考え方を入口にして、この社会がどうなってほしいと思いますか?

ずっと思ってきたのは、「優しい世界」になったらいいのになって。優しい世界って何だ、っていったら人それぞれ違うんだろうけど、やっぱりそこを認め合えたらいいのかな。ヤングケアラーって、本当はそうでないのにそう思われがちなのは、「頑張ってきた子たち」「かわいそうな子たち」。何でこんな環境で生きてきたんだみたいな、だから支援が必要なんだって言われてきたんだろうし、私もそういうインタビューとかいっぱいみてきた。そういう方が美談になるし。そうなると、例えば私の場合、実際頑張ってきたと思うんですけど、自分なりに工夫してきたし、いろんなスキルも身につけられたし。頑張ってきたんだけれど、それを美談と言われると、私は頑張ってきて、お母さんは頑張ってない人みたいな。そんなんで子育てするなとか言われたら、そんなの全く違う話。ネグレクトっていう考え方があるけれど、そういうふうに言われちゃっても、だから何ですか、それが何かの助けになるの、みたいな。
ヤングケアラーってかわいそうだ、みたいな見方をされちゃうと、なんか別の世界なんだと思っちゃう。すごい他人事、っていうか。他人事でそういうふうに見て、そうじゃないところにいたいっていうふうに見られているような感覚になっちゃう。私の中で“お母さんを助けてくれる人がいい人”で、そうしてくれない人ばっかりだったから、お母さんに冷たくする人ばっかりだったから。社会がこうさせたんだっていう感覚が、偏見に困ってきたっていう感覚がずっとあって。言えない社会がいけない、って。言えないお母さんじゃなく、言わせないっていう、そういう文化だろ、っていう感覚はずっとあった。その中で、かわいそうだって言われちゃうと、なんか違うっていうか、今までの“言えない社会”と一緒だよな、って気がするから。ヤングケアラーって言葉をどう見るかは人それぞれですけど、頑張ってきた子でもあるし、頑張ってきた親でもあるから、親子の支援が必要だし、ヤングケアラーとしての良さみたいなことも、ちょっと広げていってもいいんじゃないかと思ったり。

― ヤングケアラーっていう言葉に初めからイメージがあって、あなたはこれだよね、ってバスンと切られると、それ以外の自分の部分が蔑ろにされたっていうか。そうやって切られて、「後は知らない、以上」みたいに扱われるのが困る、世の中の人の当事者性が切られてしまうのが困る、そんなふうに聞こえたけど。

そうそうそう。


他人事にしないでほしい

支援も大事だけど、支援作れってだけの話じゃないんですよ。それも大事なんだけど、あなたはどう思ってるんですかっていうのをもっとみんなが考えたらいいのにな。支援作れっていったらそれも他人事っていうか。それで解決する話なのかな。みんなが自分たちの感覚をもっとオープンに話せたらいいし、それが考えられたら、私の場合結局偏見や孤独が問題だったんですけど、それは偏見が孤独を作った気がして。

― 結局、無関心?

無関心、無関心…無関心、悲しいですね。

― やっぱり、一言で括っちゃいけないんだよね。今日の話だと、「毒親」論っていうのがあるんだけど。毒にあたって苦しんだ人、毒親なんだと分かって救われる人もいるからね。

それもすごく難しいよな、毒親って言葉は、私は好きじゃないんですけど。なんか「強い」から。でも、そういうふうな言葉がしっくりくる人ももちろんいるだろうし、人によってはその毒が、薬にもなると思うから。そう言っていた人がいて、なるほどと思って。

― 悪い親っていうレッテルを貼るのか、子どもの側にレッテルを貼るのか…。もう少し、ありのままの自分でどう世の中が生きやすくなるのか、考えたいよね。

本当そうですよね。一生懸命やったって結局そうやって、うちのお母さんみたいに具合悪くなる人もいっぱいいるし、そういう親がいなくなることはないんだから。自分のことを抱えながら子育てする人はこれからもいっぱいいるし。…それがかわいそうだとか大変だとかいう話だと、そういうふうな家庭だからこそ(社会の中で一緒に暮らせるように)っていうのがあって。ちょっと優性思想みたいな感覚っていうか、そういう親に育てられた子どもは不幸だっていうのなら、じゃどういう親なら(子どもは)幸せなんだろう。何でも与えてくれて、それで幸せなのかっていったらそれは違うし。うちの親だからこその私の幸せもいっぱいあって。ああ、大変なのはやっぱり、選択肢がないってことでしょうね。


選択肢があること、責められないこと

― ああ…「大変な人が家にいる」となると、家族はそれをケアするしか選べない、という意味?

なんかそこじゃなくてもいい、ケアしなくてもいいし、今日はこっちにお願いできたらいいとか、断ってもいいとか、それがなかったじゃないですか。そこが支援が入ったらいいな。お金がないから(自分らしい暮らしが)できないとかっていうのも、ある意味選択肢がないって、それはヤングケアラーに限らず、いろんな家庭に起こることだと思うんですけど。

― 世の中にいろんな人がいればケアできる人も増えていく、っていうのが、一つの解決になるのかね。子どもががっつり親の面倒を見なくても、お隣さんが何かしてくれたり。

そういうのもいっぱいあったらいいな。あとは、何もしなくても責められないこと。

― ああ!

ね、それで具合悪くなっちゃうと困るから、自分でもするんですけど、本気で何もしなくても責められない、って。

― 責めるのよねえ。家族が面倒見なきゃだめじゃない、って。


当事者と家族、周囲の人、みな「関係者」

病院で働いていて、すごく思いますよね。私も精神科で5年もよく働いてきたな、って思います(笑)。やっぱり直面するじゃないですか、自分のこと、家族のことと。(患者様やご家族が)お母さんみたいだなって思うことも何回もあったし、自分みたいだなって思うことも何回もあったし。その度に悲しくなったり苦しくなったりするし。自分の不安定さみたいなのも知らされるし。「お母さんみたいな人が子どもを持ってる」人(患者様)がすごく気になっちゃうし。その人の親の考え方を聞けた時に、何回か涙が出たこともあったし、子育てに葛藤してきた母親という当事者の話を聞けた時に、そんなふうに思ってきたんだなって、自分の親と重ねて泣けたりして。まあよく働いてきたと思いますけど、やっぱり冷たいなって思うこともありますよね。家族に対してあんまりケアしてくれない。

― ああ…家族が医療では当事者にならないのは、これはどうしたらいいんだろうね。

(笑)でも難しいですよね。誰かを悪くしても、なにも始まらないですよね。人が足りないから聞ききれないっていうのも、現実的にあるだろうし。でも、想像できないんだろうなっていうか、知らないから。どれだけ大変なのかとか、どれだけ葛藤しているのかとか、想像できないだろうし、親が元気になったら本人も元気になるっていうのも、多くの医療者は知らないんだな、って。家族会も基本的にクローズドだったりするから。家族会に興味を持つ支援者も少ないし、家族の気持ちを聞いたことがある支援者も少ないし。病院で、こどもぴあの勉強会をさせてもらったんですよ。それで初めて、子どもについて考えたっていう人がいっぱいいて。それくらい視点がないんだな、って思ったり…なんか(家族の視点が)存在してないんですよね。知らないんだな、知らないから入りづらいし分からないし、支援というか、気持ちが向かないんだろうから、知ったらちょっとは変わるんじゃないかな、って。

(つづく)

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