「大人になってからが、しんどい」(小林鮎奈さん・その2)
♬るーるる、るるる、るーるるー♪ 「りら子の部屋」です。前回に引き続き、ゲストは小林鮎奈さんです。
精神科の看護師さんであり、最近、心理師にもなられた。そして、「精神疾患を持つ親に育てられた子ども」のお立場から、メディアなどでも発信されています。
前回は、家族会・当事者会「こどもぴあ」のご紹介と、「精神疾患を持つ親に育てられた子ども」としての体験を、「大変な人が家にいる」というふうにお話しいただきました。
前回の記事は、こちら。
大人になってからの方が、しんどい
―私たちの人生って、辛いこともいいこともあるわけじゃないですか。そういうのとは違う、「精神疾患をもつ親に育てられた子ども」ならではの大変さはあったのですか?
うーん、自己肯定感みたいなものは難しいですよね。自分で自分を認めなきゃいけないっていう。お母さんもそこまで私に関心向けられなかっただろうし、お母さんの役に立つ、人の役に立つことで自分を保つことが多少あったりもして。そこが、(大人になり、親と)離れた時に私はどうしたらいいのやら。
大人になってからの方が、しんどかったですね。例えば、自分の気持ちが分からないとか、意見を言うのが難しいとか。あとは…看護師ってチームワークなんだけど、人に助けを求めるのが難しいとか相談するのが難しいとか。自分から発信しなきゃだめな社会に入った時に、それをしてこなかったから、すごく難しかったです。
「自分でやれ」も「早く相談を」も、どっちも冷たい
― ひとりで抱え込む癖が染みついちゃっている、と。
そうですね。今まで自分の中だけで解決してきたから、それを、ちっちゃなことでも頼んでいい時に、頼むタイミングも言葉も分からないし、反応が怖かったりもするし。そういうちっちゃいことがすごく難しくて大変だった。
― そういう個性・特徴を身につけたのは、「家で起こっていることは、外には言ってはいけない」みたいに思っていたら、そうなるね。
言っちゃいけないっていうふうに、社会的にもなっているし、家族でもそうなってたし。頑張って言っても、それがうまくつながらなかったっていうか、本当に大変な時に頑張って出したヘルプが、ぽきっと折れると、ヘルプ出すのがもう難しくなると思うんです。うちでもそれは何回かあって、小2で(母親が)発症した時に、お父さんが警察に電話して「家族でどうにかしてください」って言われた時にはお父さんは心がぽきっと折れたというか。私も中学校高校ぐらいの時、病院に電話した時に、お母さんが薬飲まなくて困る時、連れてきてもらわないと病院ではどうにもできないとか。それで私もぽきっと折れて。限界の時にやっと出せたものが、何かうまくつながらなくて、人に頼んじゃいけないみたいな、そういう知恵を身につけちゃったから、何かあった時に頼んじゃいけなかったものを、(大人になって)頼みなさいって、急にめちゃめちゃハードル高い(笑)。大変な時に絞り出しなさいじゃなく、普段からちっちゃいことから(相談)って分からないし、本当に難しいと思いますね。
看護師になったばかりの時、そういうのがいっぱいあって。患者さんのナースコールが鳴ってて、こっちの患者さんはおむつ交換しなくちゃいけなくて、あっちの患者さんにも用事がある。そういう時に、全部一人でやろうとしちゃう。で、頼んだ方がいいよ、って言われたし、患者さんにもその方がいい。待たせちゃうよりもいろんな人に頼んで、その方がいっぱいいっぱいにならないですむし。そう考えたら分かったんですけど、そこにいくまでのやり方が分からない。特に1,2年目の時、大変だったな。
― それって、どんなことでも「逆境」の中で育った方には共通の特徴かもしれない。
そうですね。親がっていうよりも、世間的にそういうような風潮はあるというところが大きいかもしれないですね。私からしたら、おかしいなって思いますけどね。今までは、自分たちでやらなきゃいけないんだって思ってきたし、頼っちゃいけないっていうか、外に出しちゃいけないって思ってきたし。なのに、急に小さいことでも人に頼れ、みたいに、ね(笑)。それを、頼れないと、それはあなたがいけないみたいな、自分でちゃんと発信しなさいみたいな。
― ああ…
急にそんな、SOS出せない人が悪いみたいな話は、おかしいよなって思っちゃいますよね。どっちも社会的に言われていることじゃないですか。私の中では、(自分で抱えなきゃいけない世界と、頼らなきゃいけない世界と)両方やってきたから。一般論でそういうのがあるとしたら、すごく難しいし、冷たいなあ、って。
写真 気がついたら“超・核心的な”話題に入り込んでいて、おたおたし始める「りらの中のひと」を尻目に、語り続ける小林鮎奈さん。
練習しないと、跳べない
― 看護師さんはマルチタスクだから、助けを求めるのは大切なんだけど、「しないとだめじゃない」となると、違和感がある、と。
支援者の心得として(助けを求めることが)必要だったのかもしれないけど、もともと持っていないというのはあって。カンファレンスで意見言わなくてはいけなくて、それが難しかった。意見を言うのはしてこなくて、聞く人だったから、それが私の使命っていうか、そういう人間だと思っていたから、意見を言うのはほぼなかったのに、(カンファレンスで)何をどう考えているかって言われると、正解を言わなきゃいけない気もするし、正解じゃなくても自分の考えを言葉にするのが難しかった。そこはリカバリーカレッジやこどもぴあがすごく助けになったというか。
カンファレンスってすごい怖いんですよ。どう思ってる?って聞かれて、なんて言ったらいいんだろうってめちゃめちゃ考えて、いっぱい汗かきながら言って、それで反応を窺っちゃうから、それが怖くて。で、反応を見ても、それで良かったのか悪かったのか分からないし。どう思われたんだろうという他者評価が強いっていうか。
リカバリーカレッジでは、自分の意見を求めてくれ、言った後で反応してくれる。こどもぴあでも、話したことに共感してもらえるとか(それが練習になった)。たとえば高跳びだと、めちゃ高いところじゃなくて、ちょっと低い跳べるくらいのステップで、自分のことを言う練習をして、やっとカンファレンスでも言えるようになった。看護師の世界って厳しいな、って。
― あはは(笑)
走り高跳びでめちゃ高いところにいきなり行かされるみたいな。看護師だけじゃなくて、会社員とかでもそうだと思うんですけど、お前の意見はなんだ、と言われて、社会人になったら、急にハードルがめちゃめちゃあがって、もうちょっと安心とか安全とか思えるところで練習しないと、自分の意見を考えることすら、説明するの難しいですけど、…厳しいんだなって。で、社会人になったんだから当然でしょ、みたいな考えが世の中的には強いし。そこは、相談もそうだし周りみるとかもそうだし、…できてないと認められないみたいな。できてなければもうちょっと楽なところで練習しないとできるようになんてならない、気がする。
― 若い頃に、いろいろ経験しながら身につけてくる、そういう機会が少なかったのかもしれないし。で、働き始めたら、そういうことを求められる仕事で。
大変だったな、今考えると。自己肯定感を持つのに、私は他者評価を気にし過ぎだ、って。みんなにどう思われているか、先輩がどう感じてるか、気にし過ぎだと思って。携帯で“自己評価”とかいっぱい調べて、一人旅に行くとか自分の好きなものを食べるとか、そういうのに出会うと自己評価が高まるってあったんです。よし、やってみるぞ!っていったけど、自分の食べたいものなんてなんだか分かんなくて、ぐるぐる回って疲れて、悲しくなって帰って。そんなことやってみたりとか。
そう、社会人になってから、本当に難しかった。自分で生きるのが難しかったですね。それまで、お母さんがいて、話を聞いた、よし、って。誰かのためにいられるっていうのが、私にとって楽だったんだろうな…。
人の役に立つように、人に迷惑をかけないように、周りの様子をうかがって育ってきた人に、急に「頼りなさい」というのはなんか冷たい。安心安全な場所での練習が必要で、自分の言動にフィードバックや共感があることが大切。「ヤングケアラー」と呼ばれる方々の苦労の一端と、私たちの取り組むべき方向性が少し見えてきたように思います。これは、続きが見逃せませんよっ!
(つづく)
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