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ちょっと気が早いけど、怪談っぽい話をふたつ(京都の思い出)

 昨日、京都は六波羅蜜寺の空也上人像について話題にし、現地でこの仏像を拝見したことがある、と書きました。

 若い頃、京都に足繁く(東京から、季節に一度くらいは)通っていた時期があり、六波羅蜜寺もその頃訪れたものです。

 六波羅蜜寺のある周辺(東大路から松原通りを西に入った辺り)は、古の都の果て、亡くなった人を運び出して鳥や野犬に食わせる「鳥野辺の里」だったとして知られるところ。生者と死者、現世とあの世とが交錯する地なのです(だんだん“怪談話”っぽくなってきましたよ)。私が訪れたこの地の、古のエピソードを、ふたつほど。

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 松原通りを挟んで六波羅蜜寺の反対側(北側)には、六道珍皇寺というお寺があります。その昔、小野篁(おののたかむら)という超優秀な役人が、都にその名を轟かせていました。小野篁をやっかんだ同僚たちが、「彼は閻魔様の使いとして地獄から遣わされた“魔人”に違いない」と噂し、勤務明けの小野篁を追けてみると、彼は六道珍皇寺の井戸の前でふっと姿を消したのだそう。それ以来、その井戸は、「小野篁冥界通いの井戸」として知られるようになったのだとか。

 私がお参りさせていただいた時には、確か、閻魔様が地獄で裁きをしている”地獄絵図”のようなものが展示されていましたね(記憶がおぼろげ)。井戸は遠巻きに見ました。

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 松原通りをさらに西に進むと、「みなとや」という小さな飴屋があります。これまたその昔、飴屋に夜な夜な飴を買いに来る女性がいました。ある時、近所の墓地で赤ちゃんの泣き声がするので、墓を掘ってみると、土中に飴を含んでいる赤子が見つかったのだそう。それ以来、婦人が飴を買いに来ることもなくなった、というのです。そこで、この飴を「幽霊子育飴」と称するようになったのだとか。

 私が「みなとや」さんを訪れた時には、小学生くらいのお嬢さんが店番をしていて、お味見させてくれました。件の幽霊さんのように買い求めた飴は、素朴な麦芽糖の飴でした。

(おわり)

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