見出し画像

依存症をきちんと理解したい(デイケアの中のひとが「生娘シャブ漬け」から考える)

依存症をきちんと理解したい(デイケアの中のひとが「生娘シャブ漬け」から考える)
「デイケアの中のひとが語る、精神科まわりのあれこれ」#56

 某牛丼店グループの偉い人が、某大学のリカレント講座での講演で、マーケティング戦略を「生娘シャブ漬け」と表現したことが晒され、大炎上しましたね。そりゃそうですよ、感じが悪いもの。他人をナメた表現が、本当に気分悪い。

 この問題に今さら燃料を投下しても仕方がないとしても、“デイケアの中のひと”(精神医療関係者)が、どうしても触れておきたいテーマを見つけてしまったので、記しておきます。それは、「依存症」の“本質”に関わるものです。

***

 「生娘シャブ漬け」というマーケティング手法(そんなものが成立するのかどうかは別として)は、「ある製品になじみの薄い消費者に、その商品(と、もたらされる快)に過剰に暴露させることで、他の選択肢を奪い、“病みつき”の状態にする」と解説できるでしょう(私はマーケティングの専門家ではないので、表現が拙いのは、お許しください)。

 「シャブ漬け」という表現は、シャブ=覚醒剤(などの違法薬物)の常用、すなわち「薬物依存」という事態を、強く連想させるものだと思います。確かに、ある製品に“病みつき”の状態と、「薬物依存」は、似ている部分があります。薬物依存には「薬物中心性」という性質があって、薬物依存症者は、次第に薬物摂取(とその影響からに回復)以外の行動レパートリーを奪われていくようになります。それは、先のマーケティング戦略における「ある製品(とその快)に過剰に暴露させられたことにより、他の選択肢が奪われていく」状態と似ていると思います。

***

 ただ、薬物依存については、絶対に誤解していただきたくない点があります。それは、「薬物摂取によって快楽の極みを尽くしてきたのだから、依存症になるのは自業自得」という疾病観は、妥当なものではない、ということです。

 依存症は、依存的性質を持つ物質に心身が影響され(精神依存、脳の報酬系の変化)、物質摂取がやめられず破綻に至る病です。純粋な“快楽のための薬物摂取事例”を否定しません。しかし、薬物依存の背景に「逆境の存在」や「孤立無援」があることが示唆され始めています。例えば、成果主義の職場で過酷な労働を強いられ、同僚は皆ライバル、家庭でも心配かけまいとしてストレスをため込み、頼れるのは物質のみ、といった状況で薬物依存は生まれるのです。

 こう考えれば、(マーケティングの効果?で)「その商品が好きで(快がもたらされ)、病みついた」状態と、「やむを得ず物質を摂取するようになり、他に頼るものなく、苦しくてもやめられない」依存症とは、似ても似つかぬものである、ということが分かるのではないでしょうか。

 このたびの「生娘シャブ漬け」問題に対して、依存症当事者の方々は、何を感じたのでしょうか。依存症に対する無意識の“天罰的疾病観”が、少しでも変わっていくとよいのですが。

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

(おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?