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依存症者への理解が、少しづつ広がり深まっていけばよい

 先日、某牛丼チェーン店のお偉いさんによる「生娘シャブ漬け」発言について、記事にしました。この発言で影響(被害)を被りかねない集団として、牛丼店従業員、女性、マーケターたちが注目されたと思うのですが、依存症者も当事者なんだよ、というのが、私の問題意識でした。私と違う“ちゃんとした”専門家の方が、どなたか発言して下さらないか、と望んでいたのですが、松本俊彦先生がプレジデント・オンラインで発信なさっていましたね。さすがです。

 これまでに松本先生のご著書は何冊か読み、論文にも接していたので、先生が仰いたいことは予測がつく(実際に読んでみても、想像した通りだった)し、その内容には全面的に賛成するものです。ただ、世間向けの発信としては、ちょっと強すぎるかな、と感じました。

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 私たちにとって、違法薬物とその使用、使用者(依存症者を含む)は、どこか恐ろしい存在です。そんな私たちの認識が、公安当局による“取り締まり優先・厳罰主義的な違法薬物観”の洗脳によるものだとしても、先入観をそう簡単に手放すことはできないでしょう。強い言葉で理解を促しても、反発されこそすれ、世間の認識を変えることは難しい、といえるでしょう。

 ここは冷静に、疾患としての依存症と依存症者のリアル、そしてとるべき施策の提案を、丁寧に伝えていくことが大切です。以下、短めに列挙します。短め、といっても充分にボリューミーですが。

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・違法薬物と関連する諸問題は、個人の健康と公衆衛生上のリスクを増し、社会経済的な負担にもなる(それが“恐ろしい”と認識されるのも、仕方がない側面がある)。

・違法薬物問題への社会的な対応として、厳罰主義・薬物使用ゼロ施策(「ダメ、ゼッタイ」)が採られているが、狙い通りの成果を上げているとは言い難い。

・依存症は「快楽をむさぼった帰結として苦境に陥った自業自得な有様」ではなく、「薬物使用により多くを失い、物質をやめたくてもやめられなくなる(脳の報酬系に関わる)疾患」であり、治療やケアの対象である。

・依存症の背景に「逆境」や「孤立」が存在することが知られつつある。逆境が物質乱用に与える影響は、公衆衛生学的に確認されている(ACEスタディなど)。

・ゆえに多くの依存症者は、「快楽をむさぼる」者ではなく、逆境から「薬物に手を出さざるを得なかった」者と理解される。「逆境に、他者の支援を得ることなく、物質だけしか信じられず、孤独に“自己治療”を続けるしかない」者と表現することもできる。

・厳罰主義的な施策は、依存症者の孤立を深める結果となりかねない(薬物犯罪の再犯率の高さに影響している可能性も示唆される)。

・(一定の条件の下で)薬物使用そのものを処罰の対象とはみなさず、薬物使用で生じる害悪への対処を優先するハームリダクション的施策をとる国では、いくつかの公衆衛生学的指標が改善しているところもある。

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 さまざまに理屈を述べましたが、依存症者への先入観が変わるためには、何より身近に依存症者と接する機会があるとよいのかもしれません。私自身も、治療の対象として依存症者と関わるまでは、彼らの生き様や苦労をリアルに感じることができませんでした。

 ただでさえ、苦労やハンデが目に見えにくい精神疾患・精神障がいなのですが、依存症者の方々の心理は、さらに理解しがたいと思われる部分があります(やめたくてもやめられない、意思の力で我慢できない、など)。

 ですから、世間の方々が依存症者をすぐには理解できないとしても、それは止むを得ないのではないでしょうか。依存症者の孤立を和らげ、できれば味方を増やしたい。であるなら、理解は少しづつ広がり深まることを望みたいと思います。私たち精神保健医療福祉関係者も、地道に努力したいと思います。

(おわり)

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