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自己顕示欲はあまり体現しない方が良い
おはようございます!
こんにちは!
こんばんは!
クマ美です(*´ω`*)
「日本人は謙虚だ!
謙遜が出来て素晴らしい!」
などと、外国の皆様から称賛されることが多いですよね~♪
ただ、昨今では国内において、それが自己肯定感の低下に繋がっているのではないか?とする意見も散見されます。
謙虚どころか、卑下しちゃっている、と。
まぁたしかに、そういう人多いかもしれませんね。
褒められた時に
「いやいや・・・そんなことは・・・」
なんつって、へりくだった言い方をしてしまう事、多いですよね。
以前、私はとあるコミュニティに所属しておりました。
そこの主催者は、自己肯定感を上げるためにも、人から褒められた際には
「そうなんです!私、すごいんです!」
と言いましょう!・・・って啓蒙してました。
だから、所属している人達、特に若い人たちはみ~んな、何か称賛される度に
「そうなんで~す♪私、すごいんですよ~♪」
ってニコニコしてました。
(;^ω^)
いや、いいんですけどね・・・
でも、不思議と素敵には見えないんですよねぇ。
違和感がある、というか・・・。
自己肯定感ってのは
【内なる自己を認めること、肯定することが出来る価値観、観念】
であって、自らが他者肯定を要求したり、自己を顕示したりする様なことではないと考えています。
健全な自己肯定感を持っている人は、他者に向けて自分の重要性をアピールすることなどしないと思うんです。
何故なら、自分にとっての最大の味方は自分であり、その最大の味方である自分が、自分の素晴らしいところをわかっているので、他人に認めてもらわなくても困らない、という自信に満たされているからです。
ですから、健全な自己肯定感を持っている人は、安心感に包まれているので、自然と謙虚・謙遜が出来るのです。
私が考える正しい謙遜とは、卑下することではなく、賞賛された際に、その相手の行動を肯定、賞賛することです。
ほめてもらえてうれしい、という気持ちを伝え、感謝することです。
人から褒められて
「そうなんで~す!」
と言うだけでは、これに当てはまらないと考えます。
相手から良い気分にさせてもらえたのであれば、それに感謝し、相手にも少しでも良い気分になってもらうことが出来れば素晴らしいではありませんか。
しかも、こうした言動ってのは客観的に見て美しいと思うのです。
ですから、正しい自己肯定感を持てると、他者肯定も得られるのだと、私は考えるのです。
人間ですから、自己顕示欲があるのは当然。
特に、幼少期に親からあまり称賛されずに育った人は、余計にそれを求めがちになっても仕方ないでしょう。
ですが、自己顕示は自分のためにもしない方が良いと思います。
望む結果と逆の効果を発揮してしまうからです。
今、メディアで話題になっている【折田楓さん】ですが、方々で自己顕示欲が強い!と、かなり叩かれてらっしゃいます。
たしかに、投稿を見ているとそうかもしれません。
まぁ、プライベートの投稿に関しては別に構わないとは思うのですが、お仕事で、しかも選挙に関わる事であれこれ発信するのはまずかったですねぇ。
ご自身のビジネスを推進させるための行動であったとは思いますが、結果的に自滅する形となりそうですねぇ・・・。
まぁ、普段からの自己顕示欲のコントロールが上手く出来ていなかったことが起因している様に感じますし、ましてや自分の言動が斎藤知事ムーブメントの切っ掛けになった!みたいな投稿は、流石に言いすぎだろ、と思わずにいられません。
ありゃどう考えたって立花さんの影響だものw
ある経営者の方が仰ってました。
自分は会社を設立して20年以上になる。
この会社が続いてきたのは、社員の成果を評価し、賞賛を分かち合ったからだ。
自分の功績などを他人にひけらかす様な行いをしなかったからだ。
正しいリーダーシップを持っている人は、徹底して縁の下の力持ちが出来る人だと思います。
自分の働きの評価を求める様な人であってはいけないでしょう。
ユダヤの聖典にタルムードというものがありまして、そこには色々な説話が書かれているのですが、その中に【金の冠をかぶった雀】という話があります。
ユダヤの王ソロモンが、ある日鷲の背中に乗ってエルサレムからはるか彼方の領国を目指していた時、たまたまその日は体調がすぐれず、ふらついて鷲から落ちそうになってしまいました。
それを見ていた雀たちが、何百羽と集まって、落ちない様にソロモン王の体を支えました。
ソロモン王は雀たちに感謝し、
「お前たち雀に何でも欲しいものをあげよう」
と言いました。
巣に帰ってから、雀たちは話し合いました。
色んな意見を出し合った結果、一羽の雀が言った意見が採用されました。
雀たちの代表がソロモン王の前に出て行き、
「王様が被っている様な金の冠をください!それが私達全員の希望です!」
と言いました。
これを聞いたソロモン王は
「それはあまり良い意見ではないなぁ・・・。もう一度考え直してみてはどうだ?」
と言いましたが、雀たちは頑として意見を曲げませんでした。
仕方ない・・・と、雀たちの意見を聞き入れ、ソロモン王は雀にあった小さな金の冠をこしらえて、全ての雀たちにかぶせてあげました。
雀たちは嬉々として大空に飛び立っていきましたが、それまで雀などには見向きもしなかった猟師たちが、金の冠をかぶっている雀を捕まえるようになってしまいました。
次から次へと雀は捕まっていき、とうとうイスラエルの雀は5羽だけになってしまいました。
5羽の雀たちは命からがらソロモン王のところに逃げつけて
「私達が間違っていました・・・。金の冠など、もういりません!」
と言い、雀たちから冠が外されました。
それから時間をかけて少しずつ雀たちは平穏を取り戻し、イスラエルの雀は元の数に戻っていきました。
この説話は、たとえお金があったとしても、それがあると見せびらかす様な行いは危険である、ということを示しています。
努力して、一生懸命働いて、成功を手にして得られた財産。
それを顕示したくなるのが人情ってもんかもしれません。
ですが、その行いは悪党の目にもとどまることになるかもしれないし、金品が奪われるどころか、最悪命の危険性も生じてしまう、かもしれないということです。
本当に頭の良いお金持ちは、世間に自分の存在を知らしめない、ということを耳にしたことがありますが、本当にそれが正しいのかもしれません。
今回、折田氏は自らの功績をうったえようとし、ある意味著名にはなりましたが、ご本人が望んでいた様な結果は得られなかったでしょう。
ましてや、斎藤県知事に多大な迷惑をかけることにもなりそうになっています。
どんな心境でいらっしゃるのやら・・・。
改めて、自己顕示ってのはほどほどにしておかないといかんなぁ・・・
と感じた、今日この頃で御座います。