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弱くてニューゲーム

森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983)という映画を見たことはありますか?
私はこの作品が特別好きでも嫌いでも無いのですが、初めて見た時は、兎にも角にも松田優作という俳優は本当に素晴らしいな〜という事を強く思った記憶があります(松田優作が出ている映画を見る時は大体この感情に支配されがちです)。



今回はつべこべ言わずに早速始めます。
映画の舞台はとある団地に住む沼田一家。
家族構成は父、母、息子二人。
そこに突如現れた家庭教師を名乗る男、吉本(彼が松田優作)。
吉本が何者なのか、その正体などはさほど重要では無い。
沼田家における異様なまでのパーソナルスペースの欠如、コミュニケーション不全等の現代病的な問題が顕在化していく点も今回に限り無視する。

もっと簡潔に、簡単に、彼らが家族というギルドで各々が人生のミッションを乗り越えてゆく様子を、文字通り“家族のゲーム”として捉えれば良い。
吉本との関わりあいの中で沼田家の住人達が得たこの社会を生き抜く為の力は、あの"晩餐"の混沌の後では全てリセットされてしまっている。
どうやら彼らには“強くてニューゲーム”が適応されていないようだ。
それどころか、吉本が来る以前より彼らを蝕む何かは悪化しているように思える。
吉本は、バグだった。
途中、団地の住人が言う。
「彼らは死んでも"この家"を出る術を知らない」
それゆえ、無情にも吉本が去った後の団地で彼らは人生という名の周回プレイを"弱くてニューゲーム"で再開しなければならないのだ。

まさに今の私は、吉本に掻き乱された食卓のような、あの嵐の後の静けさの中にいて、これから"弱くてニューゲーム"を始めようとしている。
多分言ってる事の意味がよく分からないかもしれないけれど、それでいい。
私だって自分がなんでこの話をしたのかよく分かっていないのだから。
一つ言えるのは、きっと私の人生に、吉本のような"バグ"は、存在してはいけなかった。


これを書いているのは夜の22時26分、ベッドの上。
何回もnoteを書こうとして下書きを開いては、ワードだけを並べて、また消して、また書こうとしてはまた消して、その繰り返しを永遠に続けていても埒が明かないと思って、しょうがないからもう心の中で思った事をそのまま書くことにしたら、こうなった。
ココ最近noteをあまり更新出来ていなかったのは、色々と忙しくて、率直に言うと、書きたいと思えなかったから。
じゃあ今は改善されたのかというとそういう訳でもないのだけど、何も考えずにただ頭の中に思い浮かんだ事を文字に起こしているだけだから、今までのように文章を書いているという感覚とは厳密には違う気がする。

たまにはこんな覚え書きでも、いいよね?

私はAVの世界に来て唯一、悲しいなと思う瞬間がある。
それは、私が大学に通っている事を話すと、大人の人達からは「卒業後はどうするの?」とか「就活はするの?」とか「将来は何かしたい事あるの?」とか聞かれる事。
ましてや、デビューする以前から「AV以外に何かしたい事とか、やりたいことはある?」と聞かれ続けてきた事。
その度に私は、どうしてそんなこと聞くのだろうと不思議に思い、回答に困ってしまう。
同時にどうしようもなく悲しくなる。
なぜなら、私は純粋にAVをやりたくてこの業界に足を踏み入れたから、AVこそが他の何にも代え難い大切なお仕事だと思っているから。
だからAV女優になれた時点で、AV以外で他にやりたいことも目標も特に無いんです。
こんな事言うと、今の時代、向上心の無いやつと思われても仕方ないかもしれません。

勿論、皆さんが気を遣ってくださっているのは痛いほど分かってるんです。
だって、皆が皆、私みたいな理由でAVをやっている訳ではないから。
それに、AVが安定した職業だと信じている人はこの業界には一人もいないはず。
私だってそう。
終身雇用とは対極にあるような世界、でも、やりたいからリスクなんて考えずに此処に来た。
だからこそ皆、常に"AVのその先"を案じて、「AV以外にも活躍出来そうだね!」と、声をかけてくれる。
それは当然の優しさなのです。

でもその純粋な善意が、悲しいかな私には残酷過ぎて、手放しで喜ぶ事がどうしても出来ない。
本当に私という人間は、なんて生意気なんでしょう。
そんな私の小さな心は弱くて、どうしようもなく弱くて。
もっと強くなれたらいいのにと思う事もあるけど、そんな弱い自分のままでいたい気もしていて。
自分より小さくて弱いモノを守ろうとするのは当たり前だけど、守らなければいけないと感じたら自分より大きくて強いモノだって私は守りたい。
私は、弱くたって誰か大切な人を守る事は出来ると知っているから、未だ弱い自分のままで、ニューゲームを始めようとしている。


最後に、このよく分からない文章を書きながら一つだけ分かった事がある。
沼田家の人々にとっての致命傷とは、家族における自分の役割を果たせなかった事でも、吉本の侵入を許してしまった事でも無い。
誰一人として、あの団地から出る方法を知らなかったところにあるのです。

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