見出し画像

Tiny Dancer



自分の身体が自分のものでは無いような経験をした事がある人は、この世界にどれくらいいるだろうか。
かくいう私もそのうちの一人だ。



私が自身の異変に気付いたのは、小学校高学年くらいの頃。
体が上手く動かなくなる事が頻繁に起こるようになった。
トリガーとなるのは静止している状態から動き出すといった、日常生活におけるちょっとした運動。
短距離走のスタートダッシュ、黒板に解答を書きに席を立つ瞬間。
最悪だったのは、点滅し始めた青信号を渡ろうとした時。
横断歩道の真ん中で身体が硬直した。
瞬きが出来なくなり、口元が歪み、周りの音は遠のき、右腕が反時計回りに捻れた。
謎の緊張が解けるまで、ほんの10秒ほど。
対処の仕様が無いその数秒間、身体は無重力の宙に放り出され、生きてきた内で一番の孤独に包まれる。
突然、世界と切り離されたような感覚。
この謎の症状のせいで、体育の授業も運動会も嫌いになってしまった。
「よーいどん」で皆と一緒に走り出せない。
私を待ってくれる人のもとに駆け寄りたくても、体は言う事を聞いてくれない。
自分の体なのに、自分のものじゃないみたいで、身勝手なこの身体が邪魔だと思うようになった。


意味が分からなくて、怖くて、どうしようもなかった。
ひとりで悩み続ける事に限界を感じ、中学にあがってすぐの頃、母とお風呂に入っている時に打ち明ける事にした。
自分でも理解出来ない体の症状を他人に説明するのは難しかったし、恥ずかしかったし、勇気がいる事だったけど、拙い言葉で一生懸命説明した。
母は最初冗談半分に聞いていたが、私はやっと言えたという安堵から涙がこぼれた。
シャワーを浴びながら、泣いている事に気付かれぬよう涙を水で流した。
母と一緒にお風呂に入ったのはこの日が最後になった。


その数日後、私は大学病院の小児科に行く事になった。
小児科の中はどこも異様なまでにカラフルで、壁に描かれたアンパンマンが患者を出迎えてくれる。
周りは私より小さな子どもばかりで、少し恥ずかしかった。
待ち合いで順番を待っていると、小さな体にたくさんの管を繋がれた女の子や、大きな車椅子の中でぐったりとしている男の子が目の前を通り過ぎてゆく。
命は誰にでも平等で、身体はいつだって不完全で、生きるとはなんて残酷な事なのだろう。
私はお腹が空いた彼らに自分の顔を分けてあげる事が出来るだろうか。
そんな事を考えていたら診察室に呼ばれた。


一通り問診と検査を終え、この得体の知れない謎の症状に名前が与えられた。
診断名は「発作性運動誘発性舞踏アテトーゼ
長すぎて覚えられなかったから、先生はわざわざ紙に書いて渡してくれた。
私が経験してきた症状は「不随意運動」と言って、自分の意志とは関係無く体が勝手に動いてしまうもの。
脳神経系の異常により発症するもので、チックや吃音の仲間だと思ってもらえたらイメージがしやすい。
発症率は15万人に1人。
原因も治療法も不明。
その様子が踊っているように見える事から”舞踏”の名が付いた病気だが、お世辞にも舞踏と言うには哀れなものだ。
感覚としては、得体の知れない怪物に後ろから強引に右手を取られ、拒否する間もなく無理矢理ダンスを踊らされているよう。
不思議な事に、「次一歩足を踏み出したら症状が出るな」という予感だけはほとんどの場合察知する事ができる。
それは、奴らからの断れないダンスの申し込みのようなもの。
決して拒否出来ないダンスの誘いを知らぬ間に受け入れる事になった私の人生。
この辺りから、自分の中で "身体" そして "運動" というものへの執着がますます強くなっていった。


ただ、幸か不幸か、この病気は多少生きづらくなるだけで、命に関わるようなものでは無い。
私は比較的症状が軽い方だったし、薬を飲めば症状が一時的に抑えられた。
薬と一緒に、病気を飲み込み、牢獄と化した自分の身体に怪物を閉じ込める。
その瞬間から、症状は嘘のように治まった。
こんな小さな白い粒一つで苦しみから開放されるなんて、正直実感が湧かなかったし、なぜ飲むだけで症状が治るのか今でもよく分からない。
人体は不思議で医療は偉大だ。
でも、薬のおかげで何も考えずに走り出せる。
自分の意思で体が動かせる。
やっとこの身体が自分のものになったようだった。
それだけの事がただただ嬉しくて、意味も無く家の前の道路を走った。
思いっきり走れる事で得た喜びは、それだけではない。
幼馴染の親友はとても足の速い女の子だった。
体育の時間、颯爽と駆け抜ける彼女に遠くから憧れの眼差しを送る日々。
薬を飲むようになってから走る事は比較的自由に出来る様になったが、彼女のように速くは走れない。
そんな彼女は時折私の手を取り、チャイムに間に合うように、鬼から逃げる為に、一緒に走ってくれた。
彼女の速度を身体の全部で感じたあの瞬間、風になった気がした。
怪物じゃない、優しい誰かに手を引かれ、二人の速度が重なる事がとても嬉しかったし、清々しい気分になった事を今でも強く覚えている。

難点と言えば、この薬を飲むとしばらくの間音が少し低く聞こえるという副作用がある事。
皮肉な事に4年ほどオーケストラで全体のチューニングをリードするオーボエをやっていたから音程には敏感だった。
薬を飲むとすぐに世界の音が少しだけ低く聞こえた。
身体の中に閉じ込めたはずの怪物が「私は消えたわけじゃない」と囁く声が、自身の内側から反響して世界の音を歪めている感じがした。
でも、身体の自由を手に入れられたと思ったら、そんな副作用も気にならなかった。

あれから数年が経って、私の体は商品になった。
これも何かの運命なのか、この症状によって自分の意思でコントロール出来ない"不快感"を感じていた私は、常に身体が心地良い状態であること、その"快楽"に誰よりも敏感になっていた。
そんな私が快楽を司る職業に就いている事実にも、この話を通せば細胞レベルで頷ける。
正直、今は自分が病気を患っているという事実を忘れてしまうくらいに症状は軽くなった。
それに持病があるのは珍しい事かもしれないけど、だからといって特別な事だとも思っていない。
私のような人は沢山いるし、この病気の事を話す事で変に誰かを不安にさせたり特別扱いされたくなかった。
言いたくない訳でも、隠していた訳でも無くて、ただ自分だけが知っていればいいと思っていた。
そんな今、持病の事を発信しようと思ったのは、この苦しみが今の自分を形作る大きな要因になっている事に気付き始めたからだ。


そのきっかけを与えてくれたのは、伊藤亜紗さんの『きみの体は何者か  ──なぜ思い通りにならないのか?』という本。
伊藤さんは元々、視覚障害者の方の空間認識などに纏わる本を出されている方で、私自身も目の見えない人々の映画鑑賞のボランティア活動などに参加した経験があった為、伊藤さんの研究には興味があった。
この本では、著者自身が吃音を患っている事もあり、”吃り”の研究をベースに人間の身体に纏わるありとあらゆる”不自由さ”に対して、多様な見方を明朗に提唱してくれる。
特に、吃音への身体論的アプローチを試みた『どもる体』は、身体のコントロールが効かないという点で自分事のように読み込んだ。
その本の中にあった「せめて大切な人の前では吃りたい」という一人の吃音持ち女性の話が私の心を揺さぶった。
私も、大切な人には私の大切な身体の事を話したい。
ただただ、そう思った。



障害との向き合い方は人それぞれだ。
体の裏切りを自分なりに乗り越える方法を模索する人もいれば、あえてその不自由を自分の体の一部として受け入れる人もいる。
私は今までずっと自身の病気を隠して生きてきたが、この本を読んでなんだかその必要性を感じなくなった。
それと同時に、この病気をあたかも無いものとして過ごしてきた私だが、この身体と共に生きていく事を考えた時、その事実を無視したままには出来ないとも感じた。
何よりも、"きみの体は何者か" という問いに対し、今の私は ”絶対的に私である” という感覚を持ってこの人生を生きている、生きていたいと思えた。
だから私は、自分の身体を許す事にした。



"障害"は、運のように乗り越えられない。
道を阻むからこそ”障害”なのだ。
じゃあ、果たして "障害"とは何なのだろうか。
私にとって、この身体は”障害”なのだろうか。
この”身体”は誰のものなのだろうか。
それを決めるのは、これからもずっと自分自身。
私の身体は私のもので、私の苦しみは私のもので、その事実は誰にも奪い去れない。
だからあの日、小児科の待合室で見た、小さな体に伸し掛る大き過ぎる苦しみも、私たちには奪ってあげられない。
だから手を取り、苦しみと踊る。
自分で自分を抱きしめる。
今を生きる身体の躍動は、終わりへと進む命の鼓動は、誰にも止められないのだから。



幼稚園に通っていた頃、ほんの僅かな期間だったがバレエを習っていた。
練習着はいつもピンクのレオタード。
体に纏わり付くサテンの生地はひんやりとツヤツヤしていて気持ちよかった。
今では青いジーンズがお気に入り。
信号待ちであの歌を口ずさむ。
聞こえる世界の音はちょっと低いけど、何の心配も無く横断歩道を渡れるのなら気にならない。
今の私の手をとるのは"障害"という名の怪物ではないから。
"Shall We Dance?"
ピンク色した女の子が耳元で囁いて、一歩踏み出すために私の手を引いてくれるのだ。



いつだって私の記憶の中では、幼い頃の私が軽やかに踊り続けている。
あの日の海辺。
つま先で水を撫で、砂を撒いて地面を蹴り、自分の脚で宙へ跳ぶ。
その姿は、自由そのものだった。
不恰好でいい、笑われてもいい。
辛くても、苦しくても、この身一つで踊り続けたい。
私にとって、揺るぎない快楽を感じられるこの体がブランド。
それこそが譲れないプライド。


だからどうか、踊り続けて。
命の "舞" が止まらないように。
小さな踊り子、私のこの身体を強く、強く抱きしめて。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?