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みること/みられること

こんにちはこんばんは、宍戸里帆です✋🏻
3/1のデビューから約二ヶ月半が経ちました。
一か月前までの私はまだAV女優になった実感が無く、目まぐるしい日常に慣れるので精一杯でした。
が、今もその現状はさほど変わらず…笑
むしろデビューしたての時よりも、色々な意味で「大変」と思う事が増えました。
有難い事にお仕事の種類や量も増えてきたのですが、それに反して自分自身のキャパが分からず。
何事も中途半端に終わらせられない性格が仇となり、気付いたらパンクして体調を崩したなんて事がありました。
AV女優に限らず、誰がどの職業に就いたとしても、最初の頃はこのような悩みは付き物ですよね。
悲惨な事に、私が体調を崩したのは月に一度のAV撮影の前日だったので、結局先月予定されていた撮影は来月に延期され、ここ数ヶ月の間、必ず一回行っていた撮影を初めて休む事に。
その日からしばらくは撮影をバラしてしまった自己嫌悪に苛まれ、精神がずーーんと落ちてしまっていました。
今は体調も回復し、平日は大学に行って、それ以外の日は仕事をするという日常を取り戻しました!(ご心配お掛けしました🙇🏻‍♀️)

少し前置きが長くなりましたが、今日はAV女優のAV撮影以外のお仕事についてのお話しをしたいです。
と言うのも、「AV女優になる」という無垢な想いだけを胸に事務所に応募のメールを送った数ヶ月前の私にとって、正直なところ、「AV撮影以外の仕事」というものは眼中に無かったというか、完全に想像の外側の話でした。
でも実際は不思議(?)な事に、私はAV女優であるにも関わらず、本業であるAVの撮影が月のお仕事の量としては一番少ないのです。
その理由は、私が単体女優(メーカーと契約を交わしているので原則月に一本しか作品を出せない)だから。
そうなると、撮影以外のお仕事とどう向き合うかがとても大事になってきます。
勿論、AVの撮影はAV女優である自分にとって一番大切な仕事であるというのは揺らがない事実なのですが、だからといってそれ以外の仕事を疎かにすべきでは無いと日々感じています。
むしろそれらが時に本業の撮影や、宍戸里帆という人間そのものに影響してくるとさえ思っているからです。
そんな私が先月行ったAV撮影以外のお仕事(とそれに付随するあれこれ)を以下にざっとあげてみます!

イベント(店舗さんで行うものや、私個人のトークイベントなどなど)
インタビュー
カンメンを含む様々な打ち合わせ
ロケ撮影
グラビア撮影
YouTube撮影
イメージDVD撮影
noteやコラムなどの執筆
etc.

まだデビューしたばかりで仕事のバラエティが少ないのは当たり前なのですが、これらの中で一番回数が多かったのがグラビアです。
ロケに行ったこともあって、先月はグラビア色の強い一ヶ月でした👙

私が初めてグラビアを撮っていただいたのは、週刊ポストさんの袋とじ。
デビューして三日後の事でした。
私が映画好きという事を汲んで下さり、映画のオマージュを織り交ぜた撮影を行ってくれるということで、とてもワクワクしていました。
(オマージュした作品は、ジャン=ジャック・べネックス『ベティ・ブルー』(86)と、ベルナルド・ベルトルッチ『ドリーマーズ』(03)の二つです)
衣装も小道具も、まるでファッション誌みたいにオシャレなものばかりで、いつもと違う雰囲気で魅せられればいいなと張り切っていました。
しかし、いざカメラを構えられた途端、一体何をどうすれば良いのかが全く分からなくなってしまったんです。
初めてのAV撮影の時もカメラを向けられ「本番」の合図を聞いた瞬間は頭が真っ白になってしまったのですが、不思議な事に、その後は何をどうすればいいのかが、何故か全て手に取るように分かりました。

そこがAVとグラビアの違いだと思いました。
AVなら、カメラが構えられたらその後は"やること"が決まっている。
緊張していても、頭が真っ白になってしまっても、乱暴な言い方をしてしまえば、AVでは最低限"セックス"さえ撮れていればいい、それが大前提。
でも、グラビアはカメラの前に私ただ一人、明確にすべき事が決まっているわけではなく、上手く出来たのかという実感も掴みづらい。
しかも、それまで写真を撮られるといえばスタジオア〇スかAVのパッケージ撮影しか経験が無かった私は、せっかく綺麗にしてもらった髪型が崩れないようにと、とにかくカメラの前で動かないようにしていました。
でも、何だかこれだと自分の中でしっくりこない。
どうずればいいのか分からなくなった私は、自分に向けてシャッターを切るカメラマンさんを直視し、思い切って無理に表現をしようとする事を辞めました。
ぼんやり、だけどしっかりカメラのレンズを直視した時、初めてAVを撮影した時の、あの大きなカメラの眼に捉えられた瞬間を思い出しました。
そしてグラビアもAVも、写真も映像も、性質上の違いはあれど、カメラと対峙する時点で結局全て同じなのだと感じました。

カメラを見るということは、同時に、カメラの向こう側に存在する、幾千もの未来の視線に見られているという事。
その瞬間を、私が見つめているという事。
私と見つめ合うという事。
見られているだけではなく、私が見せているという事。

その事実を意識した時、カメラの眼を通してカメラマンさんの瞳が、その瞳の奥に誰のものかも分からない無数の瞳が見えたような気がしました。
この瞬間から苦手だと感じていたグラビアに対する考え方も変わり、毎回、カメラの向こう側からこちら側を、外部から内部へと向けられる視線の数を、私一人の身体で、視線で持って受け止め、投げ返す意気で見つめるようにしています。

あなたが"見ている"この私の身体は、自分の意志で"見られる"ことを選んだ人間の生き方そのものであるという事を忘れさせないため。
そして私が一方的に"見られる"だけの存在では無く、私もあなたの事を"見ている"のだと示すため。
そんな私を"見ている"あなたも、私から"見られている"のだと伝えるため。

この仕事を始めて気が付いた事があります。
"見られる"ことを選んだ人間の、"見る"ことへの執着は誰よりも強い。
だからきっと、この私と私の生き方から目を逸らす者がいるのなら、それは私自身ではなく、常に私以外の誰かでしかないと思っています。
私が見ることをやめる時、それは私がAV女優として生きる事をやめる時なのかもしれません。
だから今日も私は、画面の向こうから、袋とじの内側から、あなたを、あなたを通してこの世界を、真っ直ぐに見つめているのです。


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