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ホットドッグ人生

パンク過ぎる。
今まで聞いてきた言葉の中で最もパンクな響きだ。(適当)


「ダイガクドー ダイガクドー
  おひかえなすってダイガクドー
  かたじけないけど ダイガクドー」


この一文をメロディに合わせて歌える人はどれくらいいるのだろうか。

去年フランスに行った時、道路でクレープの移動販売の車を偶然見つけ、怒涛の勢いで子どもの頃の思い出がフラッシュバックしてきた。
公園の入口の前、ピンクのうさぎ、不思議な歌、黄色の車、おじさん一人。
気になってその場で検索をかけたらすぐに出てきた。
日本から約10000キロも離れたよく知らない土地で、幼い頃のモヤがかかった記憶の解像度が一気に上がる瞬間に、この情報社会の尋常ではない力を思い知る。
一アイスクリームとホットドッグの移動販売店、"大学堂"。
小さい頃、不思議なメロディを轟かせながら、家の近くの公園によく停車していた。
冒頭で書いた歌は大学堂オリジナルテーマソングのPart2なのだそう。
今になってちゃんと聞いてみると、なんだか「はっぴいえんど」っぽくてソワソワした。
アイスクリーム3連呼の部分に至っては、絶対に食べたい小学生の私vs絶対に買いたくない母親に対する一種の挑発であった。
何度食べたいとお願いしても、母親の「夜ご飯食べられなくなるからダメ」の一点張りで、ただの一度も食べる事は叶わなかった。

そんな大学堂のホームページ(そんなものがあった事にも驚き)のトップには、笑顔のおじさんが黄色いトラックに乗って移動販売をする様子のイラストが出てくる。
その下にある赤色で縁取られた「ホットドッグ人生」の文字。
一目見た瞬間、この違和感こそが何の変哲もない日常にポツリと現れる、大学堂のある種の異質さの片鱗なのだと、パリの街角で思わず膝を打った。
そこには、人生を「ホットドッグ」だと言い切る歯切れの良さがある。
自らを「アイスクリームとホットドッグのお店」と言いつつも、アイスクリームを完全に無視してホットドッグに肩入れする。
サビ(?)の一番盛り上がるところで先にアイスクリームと連呼しているにも関わらず、大学堂のベースがオリジナルのホットドッグである事は揺るがない。
その何食わぬ態度に不思議な爽快感を覚えてしまう。
さらに、「人生はホットドッグ」とか「ホットドッグの人生」とかでは無く、単純に人生の前に「ホットドッグ」を持ってくるあたり、そしてそれ以外の説明が何も無いところには、ただならぬ凄みを感じる。
別にホットドッグじゃなくてもいいのだが、自分の人生を一つの物事に象徴出来る人は、今この世界にどれくらい存在するのだろうか。
「かたじけないけど」なんて言いながら、徐ろにその生き様を世界に堂々と掲げる素晴らしき傲慢さと度胸がある人は、どこにいるのだろうか。
あの頃の私はその稀有な存在のエネルギーを感じ取り、幼いながらに大学堂の旋律に慄いていたのかもしれない。


自分はどうだろう。
私の人生において「セックス」はとても重要で大切なものだけど、「セックス人生」という響きはどう考えても頭が悪そう過ぎる。
「快楽人生」とでも言えば良いのだろうか。
響きだけで言えばギリシャ神話に出てくる神のような生き様だ。
当たり前だけど、何事も一言で簡潔に言い換える事が善だとは思ってないし、それが出来ないほどに人生は複雑だ。
だけど、己の人生を象徴するモノを、主観的にも客観的にも発見出来た人を見た時に、なんだか心がざわつくのはやっぱり羨ましいからなのだろう。
私だって人生にタイトルが欲しい。
オリジナルのテーマソングを歌いたい。
世界に自分の生きるよすがを見せつけたい。
そしてこの身体で自らの象徴を背負いたいのだ。

そんな大学堂のテーマPart2は全部で5番まであり、4番の最後にはこんな歌詞がある。

「愛してますか ダイガクドー
  輝いてますか ダイガクドー」

タイトルを背負った人生を謳歌する事の素晴らしさを、大学堂は下町を巡るその小さなトラックの中から世界へと発信し続けていたのかもしれないと本気で思わせてくれる素敵な歌詞だ。
更に忘れてはいけないのが、Part2があるという事は、その前にPart1が存在しているという事だ。
私は実際にPart1を聞いた事は無かったのだが、歌詞を調べるとなんとPart1ではホットドッグをゴリ押ししていた。
私が子どもの頃に聞いていた大学堂のテーマPart2で記憶しているのはせいぜい1番のサビ(?)あたりまでで、それ以降の歌詞はアイスクリームを食べたい欲望に遮られ耳にすら入って来なかった。
本当に申し訳ないのだが、小さな私が大学堂のホットドッグを食べたいと思った事があるかは、記憶のどこを探しても見つからない。
幻のPart1を聞いていればホットドッグを食べたいとせがんだのかもしれないが、きっとそれも母親の鉄壁の守りに阻まれていたのだろう。
結局知る事の無かった、大学堂の味。
きっと、それは人生の味。
一緒にパリに行った友達は、大学堂の存在すら知らなかったというのに。


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