もう一度会いたかった先輩のこと
先日,自分が良く知っている人の訃報が,全世界各地で一斉に流れた。本当に,各国で有名な新聞が,彼の訃報を伝えていたのだ。
自分は,ツイッターで流れてきた文章を見て,まず目を疑い,久々に何秒か固まった。
いつも会うと,「おう,おぬし,元気?」と聞いてくれて,かと言って絶妙な距離感で気持ち良く居させてくれる,不思議な人だった。
ちょっとずつ大きくなる会社のトップにいながら,飄々としていて,それなのに回りを巻き込んでは楽しそうに色々なことをしている・・・そんな自由な人でもあった。
ちょっと前に,社長職を引退したので,何かあったのかな?くらいに思っていたのだけれど,闘病されていたとは知らなかった。
だから,何だかとても不思議なんだけど,ほんとに,ふっと社長の事が書きたくなって,雑文を書いていたのだ。
何か直す気にもなれないので,そのまま上げる。
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文体が似る。徹底的に似る。
そりゃあ普段の仕事で書いている文章なら,そうならない自信は…少しだけあるんだけどね,プライベートに書くものだと,ちょっと力を入れて寄せていくと似てしまう。自分で後から読んで見ると,剽窃と言われてもぐうの音も出ないほどになることもある。
そのくらい,「師匠」の文章が好ましい。
プロの編集者である人の文章に,ただの素人が批評めいた言葉を重ねても,何を言ってんだこいつって感じだが,あの,ちょっと抜けたテンポ,かつてちょっと流行った言葉で言うと「下手うま」感どばどばの筆致と,そんな筆致ながらも確固たる流れが見える文章は,いつ読んでも,後からじわじわくる。
ふっと気を抜いて読んでしまうと,空気のようにリズム良く文字が流れているので,それはそれで気持ちいいが,それだけで終わってしまい,何か物足りない気もしてしまう。しかし,ちょっとだけ自分の中のアンテナを立てながら読み進めると,ゆるい空気の裏にあるものに気付かされる。緩い言葉に包まれるように置かれている,しっかりした感情の機微が,思いの強さが分かってくるのだ。それはまるで音楽の様に心に響き,様々なことを考えさせてくれるのである。
さて,本題。
師匠の最初の著作であるエッセイ本
「本屋さんに行くと言ってウルグアイの競馬場に行った」
これは,そんな文体で綴られた,作者が「パズル通信ニコリ」を誕生させるまでに経験したできごと,そして彼の「図書の直販会社」の創造までの道のり,そしてこよなき競馬愛が相まって起きた「ウルグアイでの『ある馬』との邂逅」の物語である。
一番の推しは,馬主さんの好意で作者がようやく彼,『ニコリ』に会えることになり,馬場を走る馬をいつまでも眺めている場面である。特にこの部分が,というわけではないのだが,短い文で,人称がダンスの様に切り替わりながら,次々に畳みかけられる,師匠独特の文体が読み手の心に染み渡る。
何か気をてらっているわけでもないのに,泣ける。
その他,株式会社ニコリ創生の物語は,当時の業界の常識をひらりひらりとかわしつつ,結果としてニコリの様に,「『普通』を蹴散らしていく」痛快話になっている。
ぜひ一読してほしい,と言いたいのだけれど,電子書籍にはなってないし,amazonでは中古品が1冊出品されているだけなのだ。誠に残念。
社長,電子書籍でいいから再販しません?
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こんな片隅で吐き出したところで,師匠に届くわけはないというのはわかっているのだけれど,もっと早いタイミングで,投稿しておけばよかったなって思う。
届かない声を書いている自分が少し悲しい。
鎮魂の思いを込めて。