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キャリアチェンジした話
最近、前職の元同僚と偶然会いました。
退職して1年半以上経ちますが、人間関係は良好だったので今も笑顔で話せることは嬉しい限りです。
僕は結構転職を繰り返し、自分の職歴を改めて振り返るとつくづく迷ってばかりの人生を歩んできたなあと思います。
全然華麗じゃない職歴から自分は何を考えてどのように生きてきたか、成長してるのか見つめてみます。
新卒からアパレル業界に就職
大学を卒業し洋服屋さんに就職した僕は、関東エリアのいくつかの店舗を周りました。
大して役にも立たない新人に、皆さん優しく親切にして下さり仕事もそれなりに面白いと思えました。
しかしざっくり言うと将来性に不安を感じ退職することになります。
地元に戻り転職
ここで地元に帰り、実家に入りました。
ハローワークで、次は事務職で探すと運送会社の経理ですぐに採用されました。
ここは社長と奥さんの専務がやっている、いわゆる同族会社。
社長は毎日誰かを怒鳴りつけ、専務は気分屋で、僕は小さなミスや勘違いを連発し自信をなくしました。
試用期間の3ヶ月になろうとした頃、ここで続けるのは無理だと言われました。
毎朝憂鬱な気分になっていた僕は正直ホッとしました。
採用されるのも辞めるのも早かった…そして自分はこんなにもダメダメ人間かと思わされました。
心を入れ替えて転職
もしかするとここでやっと本気になって就職を考えたと思います。
ポンコツな自分はやりたいことをやるのでなく、やれることをやろうと消極的に考えました。
製造業のデスクワークで適した求人を見つけました。会社はそこそこの規模で労働組合もあるし、役員の名字がみんな違う…即ち同族経営ではない!
面接に行くと、履歴書を見た社長から「どうして今までの会社を短期間で辞めたのか?」と問われました。
『あぁ、もうだめだ〜』そう思ったものの、今までの甘い考えを見つめ直し、心を入れ替えて一生懸命に取り組んでいきたいと強く訴えました。
熱意が伝わったのか、社長の態度も徐々に軟化し、採用されることとなりました。
その後は本当にもう一日一日真剣でした。
同じ過ちは繰り返したくない。
1週間、1ヶ月、3ヶ月とミスなく順調にやってきました。
入社して1年も経過すると、社長からお褒めの言葉を頂いたり、役職にある人からいろいろ声を掛けてもらえるようになりました。
そして人事異動があってから、だんだん会社の要の仕事にも携わるようになっていきます。
上司や周りの人間関係に恵まれ、仕事も自分に合っていると思えました。
決して興味を持つわけでなく、完全にライスワークとして捉えてました。
その分、仕事とプライベートのオンオフ切り替えが出来ており、とにかく居心地の良い職場で充実感はありました。
ところが…
会社が閉鎖、次の道をどうする?
右肩上がりだった業績がリーマン・ショックを境に下降し始めます。
それに伴って従業員の数も段階的に減らされます。
最終的に従業員数は1割ほどにまで減ってしまい、会社の存続はもはや時間の問題となりました。
結局、全ての業務が親会社に集約されることとなり、約20年勤めた会社は閉鎖、倒産となりました。
〜 ちなみに僕はこの時、労働組合の委員長を務めてました。それで会社がなくなるという経験をしたわけです。
その時の経験が人生の転換期となっています。それについては改めて書いてみたいと思ってます。〜
倒産を機にまた転職することとなり、この時は2つの考えを持ちました。
①運動に関わる新しい職種をやってみたい
②以前と同じ製造業で同じような職種を探す
①について、既に格闘技ジムに通っていた僕は何か運動に関する指導をやってみたいと思うようになりました。
実際いくつかのスポーツジムにアプローチをしたものの、40台半ばの未経験者では箸にも棒にもかかりませんでした。まぁ当然ですね。
②は製造業の生産管理、外注先の管理、購買と、まさしく自分がやってきた業務での求人があり、結果こちらにスンナリ決まりました。
転職を繰り返す
新しい職場は5人も同時に入社しました。
最初は現場を覚えるということで、工程のライン作業やオペレーターに入ります。
しかし朝から夜まで、何日もその状態が続きます。
僕は本当に不器用なのでそうした作業は大の苦手です。というか苦痛です。
これでは全くの異業種へ転職したことと変わりません。
おまけに毎日何時間も手当ての付かない時間外勤務があります。
とりあえずある程度の期間は続けようと思ったものの、長くは続きませんでした。
まだ運動に関わる仕事を諦めてなかった僕は、『リハビリデイサービスで体操を指導する』という求人を知りました。
介護は自分なんて到底無理だと思ってましたが、一緒に体を動かすお手伝いであれば…と考えました。
40台後半で全く未経験への転職ではありましたが採用していただき、新たな一歩を踏み出します。
ほとんどの利用者さんは優しく穏やかです。
楽しくお話したり一緒に体操したり、毎日感謝されることが多く、嬉しい気持ちになります。
ただ皆さん、体調に何らかの問題を抱えているわけです。大事な命を預かっている…そういう緊張はありました。
やりがいはありつつも、病院勤務の経験があるスタッフが多い中、僕は利用者さんの細かい体調変化などに気付くことが乏しいと痛感します。
より神経を張り巡らせるため心身の疲労が大きくなっていきました。
そしてこの職場も人手が足りず、ほとんど休憩も取れない状況…無理が生じたのか動悸がしたり正常な判断が出来ずミスが多くなりました。
人に恵まれた環境ではあったものの、自身の心身が追い付かず、結局退職の道を選びました。
非正規として働く
退職をする少し前、通っていたジムの代表からここのジムでインストラクターとしてやってもらえないだろうかと依頼がありました。
まさかの話に是非やりたい!と思うと同時に迷いが生じました。
果たして自分なんかに本当に出来るのか?
サラリーマンのようなフルタイムではなく業務委託という形で、この仕事だけでとても生活はしていけません。
それでもパートナーから強く背中を押してもらって一歩を踏み出しました。
同時に非正規雇用で、製造業で働いていた時の経験を活かせる仕事も見つけました。
こちらは生活の糧、ライスワークとして割り切ってやっています。それでも職場の人達に恵まれてとても働きやすい環境です。
何年か前、運動に関する仕事を希望した時は箸にも棒にもかからなかった僕が、今になって予想もしなかった格闘技ジムのインストラクターをしています。
僕はメンタルダウンがきっかけで格闘技を始め、紆余曲折あって今は教える側となっています。
ただ技を教えたり運動するだけでなく、格闘技を通じて自信を持ってもらったり喜んでもらいたい。
それを言語化して伝えるのに、前職リハビリデイサービスでの経験が活きています。
こんな迷ってばかり情けない想いをたくさんしてきた僕が、ようやく仕事で他者貢献していることを実感出来るようになりました。
社会的信用や収入は不安定で決して安泰ではありません。
ただこの生活になっての1年半、精神的な苦痛は和らいでいます。
これから先の人生どうなっていくか全くわかりません。
ただ今は一人でも多くの方に
「今日はジムに来て良かった。」
と感じてもらえるよう相手に向き合っていこうと考えています。