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悪夢の高校生活⑦-1「発達障がい者」が受ける心理的格差 (2022.05~06)
こんばんは、今回は、テーマを絞って書いてみたいと思います。
1 一般論
大学受験における格差は、巷で言われているものには、以下の①経済的格差と②地域的格差の2種類があると思う。①は塾や私立学校への投資能力の有無や程度を生じさせる世帯間の経済格差のことを想定している。加えて、令和時代の受験ではAO入試も広がっており、留学や有料のボランティア(ボランティアなのに、有料なのはおかしいと思うが。)への投資能力や英語外部試験への試行回数を最大化できる経済力もあると思う。かつてよりも経済格差は広がっていると分析できる。戦前であれば、首都圏でも官立の旧制中学がトップで、私立の雄で、今の力がある学校だと、宮澤喜一総理の出身の武蔵くらいであろう。失われた20年の期間であれば、AO入試は邪道扱いであったので、戦後台頭してきた私立の名門校に行かせ、塾に行かせれる程度の財力でよかったのだ。中学入試人口も令和時代よりも少ないため、所謂「天才」であれば、2~3年の中受対策で住んでケースも今よりも圧倒的だったらしい。②でいう地域とは必ずしも都道府県や地方ブロックという大きな枠組みだけではないと思う。例えば東京都在住の高校生と岡山県の高校生では、どちらが地域的に大学受験に有利であると言えるのか?一般的には東京都在住の高校生と答える人が多いと思う。しかし、それは早計だと思う。一口に東京都と言っても小笠原諸島かもしれないし、奥多摩かもしれない。あらゆる可能性に目を向けることは都道府県や地域ブロックに注目するだけでは不可能なのだ。一方、一口に岡山県と言っても、県東部で事実上兵庫県で、阪神エリアの受験戦争に参加できる場合もあるし、実家がかなり裕福であれば、新幹線効果で、兵庫県の田舎都市よりも阪神エリアの受験戦争にコミットすることも可能である。そこで代替案として、出身高校の所在地で判断するという方法も挙げられる。確かに、埼玉県や神奈川県、千葉県でも現実的に都心部へ中高生がアクセスできるエリアとそうではないエリアがあるため、その両者を対比できるという観点では、高校の所在地で判断するという考え方は一定の合理性があると思う。しかしながら、県としては恵まれたエリアでも市区町村単位であれば恵まれていると言えない地域や、県としては恵まれていないエリアでも市区町村単位あれば恵まれている地域もある。前者の代表例は湯河原町や勝浦市、後者の代表例は取手市や上野原市が挙げられる。
2 独自の意見、心理的格差に続く
To be continued