初韓国滞在記⑦完〜ソンウとの再会〜
ソンウは地方出身。大学は水原(スウォン)だったらしいけどこの時は実家に戻っている。
シドニーを出る前に韓国に行くことを連絡しているはずだし、韓国についてからも連絡しているはずだし、どこでいつ会うかも連絡取り合っていたはず。
なのに悲しいことにこの部分についても記憶がない…。
どこで再会したのかも覚えていない…。
ただ、どこかで再会し(多分ソウル駅)、すぐソンウの実家近くの田舎までKTXに乗っていったところからはところどころ覚えている。
ソンウの実家は本当に何もないらしく、その近くの浦項(ポハン)という町に見るところがあるから、とそこに連れて行かれた。
そしてソンウの友達たちがその浦項にたくさんいるらしく、なぜかソンウと私と二人でその友達の実家に泊まらせてもらうことになった。
KTXの中では英語7割、韓国語3割くらいで話していたと思う。
ソンウが驚いていた。韓国語で会話ができるようになるなんて…と。
まだまだだったけど、ぐんぐん韓国語の量が増えていっている時期だった。
その中で覚えた言葉をひとつ思い出した。
「참다」(我慢する)
なんでこの言葉が出てきたかは覚えていないけど、KTXに乗る直前、歩きながらこの言葉を何度も言ってもらって覚えた。
この「참다」(チャmタ)よく聞き取れなくて、何度も言ってもらい、発音をしっかり見るため口元を見ていたので、これを言ってもらっている時のソンウの表情を今でもはっきり覚えている。
ソウル駅のホームで、たくさんの列車が並んでいて、発車ベルも鳴り周りもうるさかった。
そして、KTXに乗りいざ浦項へ。
せっかく会えたけど、数ヶ月後にはアメリカに旅立つソンウ。
いくらなんでもアメリカまでついて行く!という勇気はなかった私。
この旅行が終わったら私も一度は日本に帰ってちゃんと仕事を始めないといけないとわかっていた。
だから、この旅行もシドニーで悲しく別れた分、最後にちゃんとお別れしておいで、というおまけのようなものだった。
もうこれで最後だと分かっていたので、再会できて嬉しいような寂しいような…複雑な心境だった。
ただ、今はこの旅行を思い切り楽しむほかない。
そんなことを思いながら、具体的に何を話していたかはよく覚えていない。
あ、ひとつだけ覚えていることがあった。数学を専攻していたソンウ。
ソンウが持っていた参考書を見て、解き方を習ってみたけど、ちんぷんかんぷんで終わったというどうでもいい記憶が蘇ってきた。
あとは他愛もない会話をしながら浦項についたと思う。
そして、ソンウの友達たちと合流。
カラオケに行ったり、ゲーセンに行ったり、ボーリング行ったり。
カラオケでは、ソンウがこの歌を歌っていたのを覚えている。
COOLの『アロハ』
いい歌だなぁと思ってすぐ覚えた。
これも「賢い医師生活」で懐メロとして出てきて嬉しかったな。
미도와 파라솔(ミドとパラソル)でチョジョンソクが歌ってた。
ちょっとだけアレンジして歌っていたのが嫌だったけど。
ゲーセンではあの頃はやっていた?!ダンスダンスレボリューションがあって、ソンウがやたら上手かったので笑った。
そしてなぜかソンウが時々通っているという教会にも立ち寄った。
ピアノがあって、披露してくれた。
なぜピアノ弾けるのー!?習っていた私より上手だった。
割となんでもこなすソンウ。
ボーリングだけは一般的なスコアだったと思う。
そして浦項の観光地である虎尾串(ホミゴッ)へ連れて行ってくれた。
海から手が出てるので、これはかなり印象に残った。
そして友達の家にお邪魔し、ご飯をご馳走になる。
ソンウと私はお客様。一応こういう時は居心地の悪さから自然と正座して食べていたのだけど、それをみたソンウがなぜかうなづいていた。
やはり日本人だな、とでも思っていそうな顔だった。
そして就寝。
翌日は、確か釜山の方の大学?記憶が曖昧だが、観光とは違うどこかに連れていかれた。
そこに何をしに行ったのかは全く覚えていない。
途中でソンウのお母さんからケータイに電話がかかってきて、深刻そうな顔で通話していたソンウの顔は覚えている。
そしてどこかで食事をしたのはうっすら記憶にある。
その日はソウルに帰る日だったので、それ以上どこもいかず、KTXに乗って帰ったと思う。
最後は、ソンウとチャットのアドレスを交換して、本当のさよならをした。
この時はもう覚悟もできていたので、悲しいというより、これからはチャットで話そうね!とまだ続くかのように別れた。
その後…
日本に帰国してからはチャットで話をしていた。
時差もないので、大体1日の終わりにパソコンを立ち上げ、ポンとチャットの画面が開く。
ソンウがオンラインになっていたらそこから話が始まる。
今日はこんなことがあったよ、などなど。
韓国語の勉強も相変わらず続けていたので、話が終わったら会話の履歴をすぐにノートに全て書き写す。
その頃には、もう90%韓国語でやり取りできるようになっていた。
韓国語でのタイピングも必要に駆られてすぐ覚えた。
もちろん分からない単語もまだまだ山のようにあるけど、分からなければ分からないと言えば、教えてくれて、どんどん単語が増えていくという、言語の勉強には最高の環境。
文法も、分からなかったらそのあと即調べて理解していった。
あぁこう言ってたのね、と少し遅れて理解することもあった。
そして6月、日韓ワールドカップが始まり…。
チャットをしながら一緒に観戦するという楽しい時間もあった。
会えなかったけど、一緒に過ごしているような感覚になるチャットという機能のおかげで寂しさは少しずつ回復していき…。
ソンウがアメリカのシカゴへ行ってしばらくは続けていた。
でもその後はもうお分かりのように、時差もあり、私も再就職先が見つかり多忙になっていき…段々とすれ違っていく…。
そしていつの間にかチャットをすることもなくなって。
数年後、ソンウにメールを送ってみたけどアドレスが変わったのか、もう届かなくなっていた。
それが本当の最後です。
完全帰国へつづく