帰国後の流れ②
韓国に留学しようとプロポーズを断り、5年働いた会社を辞めた私が次に何をしたかというと…。私の訳のわからない過去に少しお付き合いください。
ゆゆゆ迷走中です。
5年働いたご褒美に❤︎なんて呑気にまたオーストラリアに旅行に行ってしまったのです。あんな思い出のあるオーストラリアにもう一度行ってみたくなって。あの頃はシドニーにしかいなくて、メルボルンには数日旅行しただけだし。同じくオーストラリアにいったことのあるという同時期に仕事を辞めた友達と「今しかないよね、もう一度行きたいね!」と意気投合し、東海岸を横断する旅に出ました。
ケアンズ〜ゴールドコースト〜シドニー〜メルボルンだったかな。
ケアンズでは熱気球に乗ったり、ゴールドコーストではスキューバダイビングをし、フレイザーアイランド(砂の島)にも寄ったり、ラフティングでは溺れかけて急死に一生を得たり。
何やってるんだか。
宿はバックパッカーで、世界各国のバックパッカーたちが相部屋で宿泊しているのですが、なぜかそこでも韓国人が多くて。
なんと韓国人たちとまたもや寝食を共にすることになるのです。
初めは英語で喋っていても、韓国人同士の会話が耳に入ると、どうしても理解できてしまうので、うんうん、と相槌でも打つととっても驚かれました。
「韓国語理解できるの??」と。それからは英語ではなく韓国語で会話するようになりまして。
私も英語より韓国語のほうが楽なこともあり。
そこでも韓国語の会話が上達しました。
福岡で働きながら1人でインプットだけしてきたものをアウトプットするという、図らずともいい機会になったわけです。
東海岸を縦断しながらいろんな都市に立ち寄ったけど、どこに行っても韓国人と仲良くなってしまうのでした。
この後韓国に留学する予定なんだと話すと、皆いろんな情報を教えてくれました。その旅行の間に私は28歳になったのですが、そこで出会った友人たちは現役の大学生がほとんど。1年休学してきている子たちでした。
なのでインターネットで情報を得ずとも、いろんな有益な情報を得ることができました。
まだその頃は語学学校(民間)と語学堂(大学附属の語学学校)どちらにするか決めかねていましたが、とある女の子、Yちゃんが通っている大学が良さそう!と思い、その語学堂に決めました。
一番長く滞在したメルボルンのバックパッカーで出会ったYちゃん。この後も登場します。
さて、そんな旅を終えてまた日本に帰国したのですが…。
東海岸縦断、さまざまなアクティビティ…そんな旅をしてしまったもので、留学資金として貯めていたお金にまで手を出してしまい…。帰国後すぐ韓国留学に行けなくなってしまったのです。
あぁ…計算ミス。いや、途中から気づいていたけど。
仕方なく、もう一年アルバイトをするハメに。自分のせいなんだけど…何やってるんだ自分、とツッコミましたね。