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韓国人の『情』について

韓国行きを決めたのはそんな頃だった。
オーストラリアを出る予定を1ヶ月早め、韓国に1ヶ月滞在すると決めた。

韓国語も始めたばかりなのにまた無謀なことを考えたものである。
ウンシルも帰国し、シェアハウスには今やジョンホしか残っていなかった。

新しく入居してきた人とは期間も短くあまり親しくならなかった。

そしてウンシルにも韓国行きを伝えた。

私は宿を取るつもりだったのだが、ウンシルが初韓国の私を心配して、「一人はだめ!危ないからうちに泊まって」とかなり強めだったので、ウンシルの家に1週間お邪魔することになった。

簡単にいえばまたホームステイ。私は本当に一人で大丈夫だと思っていたけど、そんなに危なっかしくみえたのか。

シドニーでも引越しの時に感じたあのイライラや怒りはのちに韓国人のいわゆる『情の厚さ』だったことをその後の大勢の韓国人との付き合いで知った。

韓国人の『情』についてはそれだけの本も出ているほど。
そういえばチョコパイも『情』てあるし。

よくいえば面倒見が良い、まるで家族のよう、だけど、別にいいのに…と思っているのにグイグイくるあの距離感の違い。
日本人だとこれ以上は踏み込んで来ないはずの境界線を平気で超えてくる。

『情』は日本人には時に鬱陶しく感じることもある。
特に、はじめてそれに触れた時など。
もしくは、ある程度時間が経った頃にその時期がやってくることもある。

簡単にいえば「放っておいてくれ」と思う時期。

そんな日本人の話もよく聞いた。
「あ〜その時期ね。韓国人と交流してたら一度はくるあの時期ね」

私も日本人にはなかなかない距離感だったので最初は戸惑ったものである。
ところが、その時期を過ぎると慣れなのか、いつの間にか気にならなくなった。

実際そのおかげで助かったことも多いし、今ではありがたいことだったな、と思っている。

そんなこともあり、今回のウンシルの家に滞在する提案は、あまり抵抗せず受け入れた。
ウンシルの家はソウルから電車で1時間以上離れた郊外にあるらしい。
1週間だけの滞在になったのは、ソウルではなくて申し訳ないと思っていたかららしい。

その後はソウルで宿を取るつもりなのに、ウンシルが知り合いのお宅(ソウル)に連絡を取り、次の滞在先だ、と私に紹介してきた時はさすがにびっくりした。

もう有無を言わさない感じだったので、「いや、本当にいいんだけど…」と言ったかどうかはもう覚えていない。とにかくありがたく受け入れた。

いわゆる文化の違いを本ではなく身を持って経験したわけである。

番外編〜帰国するまで〜を挟んだ後、初韓国滞在記に続きます。

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