作った優しさは、天然の無造作には敵わない… #25
他人に気を遣うタイプかどうか。
どうですか?
私はたぶん、そう。
なのですが、天然の無造作には敵わないと、最近思います。
私の場合の「作った」とは、ありがたくも"兼"そうでない面も含め、"親にそう育てられ"た。
例えば放課後に「うちに(遊びに)来ていいよ!」と言われても、小学校、いや、何なら高校生まで、一部の本当に心を許せる且つ、親同士が繋がっている友達の家以外には行かなかった。
今日は私の奢りです、と言われても、強情に「いや普通に半分出します」って、相手の面子も考えずに言っていたのは、たぶん1年弱前くらいまでは、そう。
自分が気をつかう時、相手に対して不快な思いをさせていたかもしれない。
他方、
自分が遣っていた"気"を、無意識に他人に求めてしまう傾向があると、最近はっきり自覚した。
自覚してからは、内省し、筋が通るかどうか、ちょっとは考えてみたりする。
無邪気な人には、それは通じない。
無邪気は、少し言葉が違うかもしれないけれど。
悪気がない、純粋な人と対峙する時、「考えに考えて、次の一手を考えるタイプ(大袈裟やけど)」は、最弱だ。
そんなことを思った。
少ーしずつ、「これはこうあらねばならない」というのを緩めて、5年後くらいには、あの子やあの人のように、自然的な素(仮表現)がしみだす人でありたい。
おわり
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