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昨日、私はこの記事を書いた。
時折、昔の悪魔が顔を見せる。お前も弱くなったものだなと冷笑を浴びせる。今の私は小学2年生の時より弱いかもしれないけれど、当時の私を不憫にも思う。
私は娘が大好きである。なぜなら、こんな気持ちを娘に持って欲しくないからだ。自分が強くあらねばならないことはない。嫌なことは、私にも共有してくれたらいい。それで、幾分かマシになれたらいい。
私が変わったのは、小学5年生の時である。以前にも書いたが、ジャン・レノ先生は、私の考え方を180度変えてくれた。
彼は本当に熱くて、なんでも燃やせばいいと思ってる太陽だった。本当に先生はアホだった。
なぜなら、彼はとても自分に正直だったからだ。私がいまだに、アホみたいに正直なのはそこにルーツがある。人から嫌われても、正直に物事を言う。自分の世界では正直であったが、外の世界は欺瞞に溢れていたからだと思う。
今ならば、それは欺瞞ではなくて、人々の感情の揺れだということが分かる。
当時の私は、おそらく真理というものを求めていた。そんなに、人の心は単純ではないのに、それを求めていた。ある意味、理想に夢見た時期なのだろうと振り返ると感じる。
ジャン・レノ先生は言った。
「もし、ここでオレの家族とお前たちがいて、災害にあったならば、オレは真っ先に自分の家族を助ける」
なぜだか、それがとても私の胸に響いた。今でも覚えている。「悪いことをしたら怒る、オレの授業の邪魔をするやつは怒る」
とても先生は素直だった。ただ問題は、先生があまり授業をせず、よくグラウンドで遊びに行ってしまうことだった。
だから、私はバカ正直が今も好きなのだ。それは、これからも変わらない。
先生は結局、PTAから色々と苦情を言われて、教育委員会に目をつけられて他の学校に赴任することになる。それでも、最後まで自分を押し通したと思う。
不器用な生き方である。
これで
よかったんだ
日々は
自分
ありのままで
受け入れてくれる
人がいる
楽しいと
幸せな
それが
一次の
まやかしで
あろうとも
引越しをするときに、1人で泣いたんだ。こんな異端児で問題児でもある私と真っ向から向き合ってくれたのだから。人として向き合ってくれたのだから。
それから、私は本当に変わったと思う。次の学校では友達も沢山出来たし、先生からは優良児だと褒められた。私の母親が、優良児だということを聞いて驚いたと言っていた。
昨日の記事だけでは、今の私を伝えることはできない。
この2つがセットになって、今の自分を構成している。
ただ、私の娘にはこんな回りくどい生き方をして欲しくないから、精一杯の愛情を注ぎたいとこれからも思っている。
私は自分の人生をとても満足している。
闇に浮かぶ孤月の光に苛立ち、燃えさかる太陽の眩しすぎる光を取り込むことができたのだから。
戻らない
おしまい
自分が自分の命を自ら断とうとした時、それは自分の意思だと思うだろうか?
意識という精神は、肉体を離れてもこの地球の重力にひかれて、昇華できずに彷徨っているものもある。
それは、寂しさや悲しみ、怒りという感情に支配されていて、あなたの精神の隙に入り込む。
そうして引きずり込まれてしまうのである。これは、肉体を持つ現実世界でもそう大差はない。
その時の自分の感情は、後から振り返ってみると、どうしてこんな感情を持っていたのだろうか、と不思議に思っているはずである。
そこに陥らないようにするために、今の私が学んだことは、目には見えない思念がある、ということを、常々、心に留めおくことである。
精神なので、弱くなる時もある。その時に思い出して欲しい。引っ張ろうとしている精神が近くにないか、心の目で見て欲しい。
私は、「見つかっちゃったか」という言葉を、心で聞いたことがある。私はその時、申し訳なく思ったのだが、肉体があるうちは、精神だけの存在になることはできない。そのため、見つけて、自らそちらに行くつもりはないことを伝えてみればいい。
諦めてくれることの方が多いと思う。