ただただ書いただけ資本主義について~~
行き過ぎた資本主義はお金が物差しになってしまう。大きな石を崇拝していた古代人からするとまったく意味のない数字や紙切れに対して矛盾を感じることも多いだろう。お金がないと何もできないというのは資本主義のひずみとしては仕方ないのだと思う。
資本主義以外で社会主義、共産主義、独裁などとどのような統治の仕組みが良いというわけではなく、基本的にほかの統治の仕組みでは最悪であり、資本主義の方がまだましだよねという統治の仕組みであると理解している最悪の中で最高の選択。その選択を選んで最初の方はいいがお金持ちがお金持ちになっていく資本主義ではいつまでたってもお金持ちと一般人の距離は遠くて、さらに貧富の差が表れていくことは予想できていた。資本主義の国アメリカでは貧富の差は想像以上に激しく、戦後日本でも導入されて80年経った資本主義では一億総中流といわれる時代よりも貧富の差は激しくなり、さらにこれから持つものと持たざるものとの差が激しくなっていくだろう。
持たざるものが、現実的に生きていくにはとても生きづくらくなってきてしまっていて、本当に困って絶望の淵に立った時はどんなにいい人でも何かの打開策として、暴力や法を犯すことが多くなり、犯罪率も高くなっていくと思われる。どうすればしあわせにみんなで生きられるかという考えをもって実践してきた結果が貧富の差の想像以上の壁である。情報技術が発展したとともに仮想通貨で資本主義は暴走しているとでも言える。数字を追い求めて何かの利益を生むのではなくただただ数字上のみで富のやり取りがなされてたくさんのビリオネアを生んでいる。これからも、新たな技術の発展とともに富を生み出していくことの繰り返しだろうと思う。
どうすればしあわせに生きられるのか?今日より明日が、今よりも1時間後がどうすればよいものになるのか?ということをいつも人間は考えている。その前向きな考えは人間に備わった性であり、業であるといえよう。
その性が他人に不利益を生まないで誰も傷つくことなく幸せになる。ということが人類史上未だに達成されていないということは人類の悲願となっている。資本主義では人類みな幸福は実現できない。それでは、どのような考えが人類の発展に寄与することができるのか?または人類はひとつの大きな生命であるととらえて苦しむ部分と幸福な部分があって当たり前ととらえることの考えるのかそれはどう考えるのかは人それぞれでやってみることしかないかなと思います。
ただ思いつくままに書きました。
ではでは。