はじめて買ったジュエリー雑談。

 振り返ればもう41歳。振り返らなくても41歳と歳は変わらない。よく40にして立つとかいって40歳にもなると自分の人生でやるべきことがみえてくるもんだぁ!みたいな風潮があるのだが、何にも見えてこない。簡単に言えば20歳から精神年齢だけは年を取らないんじゃないかと疑っているが、20歳のころから比べればやはり集中力も執着する体力も落ちてきていることから肉体的変化による精神的な変化が訪れてきているのは疑いようもない事実である。

さて、ジュエリーを手にしたいと思うようになったのは20代だっただろうか?ジュエリーとは大雑把に金やプラチナの土台を使って留められた天然石をあしらった装飾品というくくりにするとわかりやすいがその時代の流行によっても手にするジュエリーは変わってくるのは明白である。2000年代に大流行りしたピンクゴールドは2020年代には成りを潜めているもののその存在感は一角のジュエリー居住地区を得たといっていいだろう。また、2010年前後に流行したのはブラックダイヤモンドのジュエリーだったが、黒いダイヤは流行という名の闇に沈んで100分の1くらいの人気を2025年に保っているにすぎない。

はじめて、ジュエリーを手にしたのはブラックダイヤモンドのピンキーリングだった。その当時はハイブランドは聖域化されていたが、今よりも神格化しておらず、ノンブランドのピンキーリングだった。K18WGの台座を選んだのだが、長く着用していると金の部分が見えてくるかもしれない。そう思いながら「それでもいいか」とピンキーリングのデザインに凝って買った覚えがある。

刻印を見てみると「750」と書いてあり、タイ等で制作されたような雰囲気を漂っていたが、どこで生産されたかなんてどうでもよくてそのデザインと20万くらいだったかと思うけど20万円もするものを「買い物」する体験で目一杯心の中がお腹いっぱいだった。

文章を書いているうちに初めてのジュエリーを買ったのは父が亡くなってから2週間してからだったということも思い出してきた。24歳だ。24歳の夏だ。父が介護の末に亡くなってしまっていつかなくなるんだろうなという面持ちをしていたが、ついにその時が来たのだと表面上は動揺をしていないように見せていたけれど、自分を保とうと思って父がなくなってからすぐにお酒を飲みに行ったり、ジュエリーを買ったりしていたのかなと今になってはそう思う。

ジュエリーを買うという行為は特別なものである。特別なものであるからこそ父という存在を失ってしまった自分を保つために効果があったようである。

2020年のコロナ禍以降はハイブランドの神格化が進んでいる印象がある。それまでは品を見て買うので、品質は自分が保証したが、オンライン化が一気に進むとジュエリーの品質に対しての担保は「ブランド」が浮き彫りになったし、仕事でいえば「資格」がその人の能力「品質」の担保となってきた。

中古でジュエリーを買うならハイブランドである。なぜブランドがブランドであり得るのか。基本的な考えは世界中どこで手に入れてもカルティエはカルティエの品質を保持しているし、ティファニーはティファニーの品質を保持している。作りが甘かったとかこのビーゼロワンは何かおかしいということは基本的にはない。偽物だとそれは違うが、本物である限り品質は担保されており、中古でもそれは変わらない。中古ジュエリーを買うならハイブランドに限る。

逆に言えばハイブランドこそ中古で買うべきだという輩もいるが、特別な一品はオンラインであろうと対面であろうと「買い物」という体験も含めて価値を発揮する。10年後こんなお店でこんな思いで、こんな人から。などの思い出がジュエリーを身に着ける動機にもなる。

自分が今ジュエリーを買うとしてもハイブランドだろう。ノーブランドの同じ品でも作りが甘い。或いは同じような商品に見せかけて高騰している地金をどう節約しようかという策が見えるジュエリーを購入しようとは思わない。つまり、自分にとって20代で買うジュエリーはその場と近未来に対しての思いを持った買い物だったが、40代を超えてくると一生を付き添えるジュエリーを探そうという気概が出てくる。今から起こる近未来こそがすべてだと知っているからだ。

はじめて買ったジュエリーと書いたが、2度目はない。それが自分に勝ったジュエリーでは最後かもしれない。もう一度だけジュエリーを買いたいと思うが、一生の相棒を見つける覚悟でのぞんでいくことだろう。

重いか…。もっと軽く考えてもいいのかもしれないが、早々変える買い物でもないからこそそれくらいの気概になってしまう。それとは反対にジュエリーは買えば買うほど良いジュエリーに出会う確率は高まっていく。失敗すればするほど成功に近づいていくものだから、何度も購入して使用するといった体験が必要だから困る。

キラキラしたメレダイヤをちりばめたパヴェリングがいいと思って買ってもどこかでダイヤモンドが逃げ出して行方不明になっていたりするともう二度とメレダイヤがついた品など買うかと思うのは当たり前だ。いっそのことメレダイヤに発信機でも付けていたら良かったと思うこともあるが現実的にそんな発信機を付けられるメレは存在しない。マリッジリングがなくなった時もいっそのことマリッジリングにGPSでも付けれ置けばよかったと思うこともあったが、そんなGPSを発信する機械があってもマリッジリングよりも大きいと予想され「あの人結婚指輪付けてるのよ。結婚してるのね」ではなく「あら?あの人GPS発信機を持って歩いているわ。なんで?」と懐疑的な目で見られるのが落ちなような気がする。

ふと気づいたら41歳。40台に突入している。こんなはずじゃなかった40代。いい意味でも悪い意味でもこんなはずじゃ。。。でも生きていることは悪いことじゃない。14歳で不運にも命がなくなってしまう方もいらっしゃった。今日を生きれることを当たり前に存在で来ていることを愛しんで毎日を生きていく。それが大事なんじゃないかと思いました。

ではでは~~。

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