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「転職活動」というワードに感じる違和感について

以前、この記事を見た時に、

さらに今後は「転職という概念を変えていきたい」と話す。
何かあったときに転職活動をするのではなく、常に転職できる状態になるのが良いと思っています。自分がやりたいことが見つかった時に、すぐに会社内外で次の仕事が見つかれば、より最適な個人のバリューが発揮できると思うんです。

この部分に強く共感した気持ちをnoteに書きたいと思っていて、ようやく時間を作れたので書くことにしました。

特に隠すあれもなく、僕は年がら年中、ビズリーチとかLinkedInとか、いわゆる転職サイトなのかビジネスSNSなのか総称がよくわかりませんが、登録しています。

新卒から6年以上勤めた1社目を辞めて、転職童貞を捨てたタイミングで一気に視野が拡がったというのもあるのですが、何故、人は敢えて転職したいと思うタイミングでしか、こういうプラットフォームに登録しないのだろう、と考えました。

もはや1社に人生を捧げる終身雇用の時代ではなくなりました。仮に今の自分が、自社内に置いて上司・役割・給料・成長性、など様々な変数において最適なポジションだとしても、日本もしくはグローバル全体に視野を拡げた時に最適なポジションかどうかは、外を見てみないことには分かりません。

また、いざ「the転職活動」を行うタイミングでサイトに登録しても、果たして自分にとってベストな条件が外にあるかどうかは分からず、いわゆるタイミング(ご縁)任せになってしまいます。

過去に、すごい良い巡り合わせの機会があったであろう可能性の損失です。


どれだけ自分が恵まれた(と思っている)環境だとしても、定常的に市場に目が向いていれば、より恵まれた環境へとステップアップしていける、これがキャリアアップであり、市場全体で見た時の人材の最適配置だと思っています。


これを継続していくことがキャリアアップであり、空白期間を設けることによって、機会を逃し、いざという時に市場価値の低いポジションを掴まざるを得ないリスクがあるわけです。

こんな世界を会社から見た時に、個々人をいつでも辞めてしまう無責任と軽蔑するのか、会社自体や給与形態をもっとよくしていかなければ人材競争に負ける、と奮起するのか、で会社力も問われてくるのではないでしょうか。


昨今自分自身がそんな思想に至っているからこそ、「転職活動」という言葉自体が、世の中の可能性を狭めてしまっているのでは、という風に違和感を抱いています。

日本は特に、未だに終身雇用の思想が根強いです。日本全体の最適配置だー、と言ってる自分は総理大臣にでもなりたいのか、よく分からなくなってきましたが、もっと人も組織もオープンになればいいのになー、とぼんやり考えている次第です。


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Ryohei Takagi
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