推しが見せたい「いい景色」、ファンからは見えない問題について考える
そのいい景色、ステージ上からしか見えないんだよ。
人気上昇中の推しがいる。毎年毎年コンサートの会場が広くなる。
すごいことだ。私が推し始めた頃には20名くらいのお客さんの前で歌っていたのに、一番最近のライブではキャパ4桁の会場を埋めていた。
今の推しに限らず、アイドルやアーティストという生き物はよく
「もっといい景色を限らず見せます」「いい景色をみんなと見たい」
みたいなことを言う。
ここで言ういい景色とは「もっと広い会場が満席になっている景色」であり「その広い会場でペンライトがキラキラと輝いている景色」なんだろう。
残念ながらオタクは「いい景色」を見にライブに行っているわけではない。見たいのは推しの顔や推しのパフォーマンスだ。キャパが大きくなればなるほど良席を確保できる可能性は低くなり、推しとの物理的な距離は遠くなる。推しの顔やパフォーマンスが肉眼では見えないような景色は、どんなにペンライトがキラキラしていたとしてもいい景色とは言えない。
それなのに演者たちは無邪気に「必ずいい景色を見せるからついてきて」と約束をしたがる。私と彼らは同じ景色を見ていないのに。立っている場所が違うから同じ景色を見ることなんてできないのに。残酷な話だ。
強いて言えば「いい景色を見た推しの笑顔」は私たちにとっての「いい景色」であることは間違いないだろう。
「推しのいい笑顔」を作り出すために「いい景色」が必要なのだ。
その解釈であれば、「いい景色」を目指す彼らを応援することができるかもしれない。
嗚呼、オタクってなんて面倒くさくてなんて可哀想。
今日のnote、いい景色って何回言っただろ?