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自己紹介|不完全なものを見せる勇気と恥とPDCAのはなし

連続投稿3日目。書いては消し書いては消し、中途半端な下書きやメモが溜まっていく一方で、最後まで書ききれないという悩みにぶち当たる。
毎日投稿を始める前にいくつかストックを作っておくべきだったという後悔は先に立たず、その日に投稿する記事をその日に書くという自転車操業スタイルになっている。

話が少し飛ぶが、最近私は仕事の場で大いなる挫折を経験した。どうしてこうなったのだろうかと自分の仕事ぶりを省みたときに、PDCAサイクルをスピード感を持ってグルグル回すことがとても苦手だということに気付いた。初動が遅い。一歩が踏み出せない。ベンチャーで働くには致命的すぎる欠陥を抱えていることを40歳手前ではじめて自覚した。

原因ははっきりしている。中途半端なPLANでDOする勇気がないのだ(凄い言い回しだが気に入ってしまったので積極的に使っていきたい)。
失敗が怖い。そんなレベルかと笑われたくない。一発ですごいの出してきたねと言われたい。成功確率を極限まで上げた状態で実行したい。
プライドの高さと臆病な性質が最悪の形で出てしまっている。

昔はこれでも大丈夫だったはずなのだ。基本的にどこに行っても「仕事ができる」と評価されていた。ここまでの挫折を味わったことはなかったし、少なくとも新卒で入社した一社目(大手ゲーム会社)ではこれが正解だったはずだった。

私がゲーム企画職として入社した会社は、当時「成功確率をあげるマーケティング手法」をゲーム開発に取り入れようとしていた。ターゲットを決めて分析を行い、未充足ニーズや潜在ニーズを洗い出し、調査に調査を重ねて何度も何度も議論してコンセプトを完成させてからゲームを開発していた。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、4年目でその会社を離れてからも私はそこで習ったマーケティング手法やコンセプトの考え方を軸に仕事をしている。

時代の変化を最初に感じたのはオンラインゲームが台頭してきた時期だったような気がする。「アップデート」という概念が生まれてからというもの、「こんなバグが存在した状態で世の中にリリースしちゃうの!?」「こんなゲームバランスのままでリリースしちゃうの!?」というゲームが世の中に見受けられるようになる。
家庭用ゲームも業務用ゲーム(ゲームセンター用のゲーム)も昔はパッケージとして出したらそれが「完成品」だった。バグやバランス調整ミスがあったらクソゲーの烙印を押されてそれで終わりだった。一つのミスも許されなかった。それがアップデートという概念の登場によって「あとから直せばいい」ものに変化したのだ。ユーザーの声を受けて、ゲームが調整されていく。ゲームはクリエイターが作るものではなく、ユーザーと共に作っていくものになったと言えるかもしれない。

ゲーム業界を離れて飛び込んだ教育系ベンチャーでも「とりあえずリリースする」ことが行われていた。新規事業としてプリスクール事業を立ち上げた経験があるのだが、カリキュラムもない、先生もいないような状態で、体裁だけ整えて生徒募集をしている会社に対して、当時の私は「無責任ではないのか」と憤慨していた。今思えば、当時の社長はまさにPDCAを回そうとしてしていたのだろうとわかる。やってみてダメだったらそこを直せばいいという考え方だ。
理解はできる。でもやっぱり共感はできない。ゲームならまだしも教育事業だ。「ダメだったから次は良くする」と言ってもその恩恵を受けるのは二期生や三期生で、一期生は実験台だ。高いお金を払って子供を預けてもらうのに「失敗でしたね」では済まされないと思ってしまうのだ。

まずはターゲットを設定して、ニーズを調査して、良い幼児教育とはなんぞやを定義してから教育の第一人者をお呼びしてしっかりとしたカリキュラムを作った状態で、それを目玉に生徒集めをする。私の正義を貫けるのであればきっとこんな進め方になる。
今は別の仕事をしているが本質は変わっていないのでやはり時間がかかる。

そんな私にとって、noteの毎日投稿は結構苦しい。
何が苦しいって、時間的な制約のせいで自分の中で納得するレベルまで記事を推敲できないことが苦しい。
サムネイルがない状態で、タイトルが練られていない状態で、オチも微妙で、流れも迷走して、そんな状態の文章を自分が書いたものとして世の中に発信することが恥ずかしく、苦しい。

でもこれがリハビリになるんじゃないかという気がしている。
とりあえず書く。とにかく出す。
反応を見ながら、ブラッシュアップしていく。
小さなPDCAを回す練習をしながら、私は勇気を育てていきたい。

40歳まであと98日。

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