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子供の名前を考えるというエンタメは「誰かの残した思慮に想いを馳せる」ことにありそう
今日はこんなツイートから。
我が家はいま絶賛子供の名前を検討中なのだけど、ちょっと調べてるうちに『あれっ?85年生まれの俺ってもしかして日本で最初にリオを名乗った男』なんじゃないの?ってことに気がついた。
— Rio Nishida@日本で初めて『リオ』を名乗った男(暫定) (@Riopo) January 26, 2020
同時に当時の親の気持ちに立ってみると女の子っぽい名前を男につけるってのはかなり勇気がいる決断だとも思った
当て字的に漢字を使うのも読み間違えリスクを懸念しただろうし、漢字の語源や意味合いなども相当に調べ込んだはずだ。だって、こんだけ『リオ』が溢れたこのご時世でも赤ちゃんの名前 ハッピー漢字事典や赤ちゃん命名ガイドサイトにもどこにも載っていない漢字が僕の名前には使われている。
自分が名前をつける立場に立って初めて気づいたことだ。
漢字の意味合いだけでなく、「将来、海外でも活躍するような人になって欲しい。その為には外国の人が名前を呼びやすい方がいい。」名前の由来について、親からそう伝えて貰ったことがある。
いまだにRとLの発音には苦労して名前を伝える事が多いんだけど、お陰様で海外の友達も皆すぐに覚えてくれる。
システム屋をやっていると古いシステムほどドキュメントがなくて、このロジックの設計意図がわかんねぇよとイライラすることがある。
休日には謎解きに行って、自分からわざわざ分からない苦労を楽しみに行っているのに、システムになるとストレスしか感じないのは、自分でも不思議以外の何者でもない。
絶対に正解を出さないといけないプレッシャーだとか、かけられる時間の違いだとか真っ当な理由を探したいんじゃなくて、誰かの残した思慮に想いを馳せる。これをどうすればもっと簡単で普遍的にエンタメとして捉えられるか。
本当はもっと深堀したかったんだけど、言語化力不足で今日は時間切れ!
ということで、僕より前に生まれた男性の『リオ』の情報提供、引き続きお待ちしています。