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\㊗️誕生日/激病み中学生がノマドデザイン専門学生(20)になるまで👩‍🎨

こんにちは、フルリモ大学生の りおんせです💐
(仕事も学校もフルリモート→フルリモ)

現在はバイトや事業を進めながら、デザインの専門学校でウェブサイトやアプリ、サービスなどの使い心地を探求しています📲

りおんせ(21)
愛媛出身→N高卒→(放送大学休学)→ゆるフリーランス→ゆるく多拠点生活(ノマド)中。

ログインしてなくても「スキ💛」できます!
おみくじが引けたり引けなかったりするようになりました

あした10/15は、
私りおんせが「21歳」を迎えます🎉

…ということで、
1年かけて温めてきた

「りおんせの20年間」を大公開しちゃいます(ドドン)

SNSを見てくれている方からしたら、
私は順風満帆な人生を送ってきたように見えるかもしれません。

でも、ひたすら葛藤して、
ほとんどメンタルが病んでいるような20年間でした。

特に成し遂げたこともないので、
私以外の人が読んでおもしろいのか分かりません笑 

それでも、一生に一度の大きな節目、20歳。
私なりにこの瞬間の言葉を残しておこうと思います。

20歳に+1しただけなのに、
お姉さんに感じるよね21歳って

ちびんせ期👶最初から暗い

「ディズニー英会話システムは3日で飽きました!」という顔(3歳)

2003/10/15に爆誕しました👶

めちゃんこ人見知りで、
人にやさしくされると
どうしたらいいのか分からなくなってしまう

不器用なちいかわでした(自分でいう)。

歩いてたら振り向かれるくらいかわいかったらしいです。
残念ながら全然記憶がない。

この頃からかな~り繊細🥲。

保育園の先生や周りの園児のささいな言動にショックを受けてしまうので、

感情が揺れないよう外界から心を閉ざしていました。

まわりの子は仲良くしようとしてくれてたと思います。

でも、家族含め、人間全般に心を許せず、
コミュニケーションをとった回数もかなり少ないと思います。

中学生までだいたいこんな感じでひとりで過ごしてました。

⿻⿻⿻

愛媛のテーマパーク「こどもの城」に
かなりの頻度で遊びに行ってたそう。

この「こどもの城」では
木工や陶芸に夢中になっていました。

家でもよく工作をしていたみたいです。

この記事を書いてたら懐かしくなって行ってきました。
七輪でマシュマロ・じゃこ天を焼いて食べるイベント。

小学生期🎒ワクワクする体験に目がない

低学年:
クラスのイベント係に所属して、
イベントを企画するようになりました。

お店屋さんごっこをしたり、
クラス全員で一緒に工作をしたり…

振り返れば、
このころからすでに

「ワクワクする体験をつくる」

ことに強い関心があったんだなあと思います。


中〜高学年:
5年生になると、
放課後のクラブ活動が始まりました。

工作クラブでプラバンを夢中で作っていたのを覚えています。

クラスの新聞係にも所属していました。

クラスのみんなにアンケートを取り、

「どんな質問の仕方をしたら、
ほしい回答が引き出せるのか」

をワクワクしながら考えていた記憶があります。

そのまんま大きくなりましたね。

⿻⿻⿻

今の制作活動に繋がっていること①自主学習ノート

小学生時代、毎日の宿題で

「自主学習ノート」

というものが出ていました。

まっさらなノート1ページを使って、
自由に学校の予習や復習をしようというものです。

せっかく同じ時間をかけるのなら、
今までにやったことのないことをしよう
としていました。

いいノートは廊下に掲示されるので、
それが目標になって、

「どんなノートにしようかな」

と日々模索していました。

この「自主学習ノート」で

「より良いものをつくろうと模索する姿勢」
「繰り返し試す持続力」

が磨かれ、
今の私に直結しているなと感じています。

勉強という勉強はまったくしていなかったけど、
これだけはしておいてよかった。

今の制作活動に繋がっていること②新聞へのイラスト投稿

地元の新聞に、
子どもたちの絵が載るコーナーがありました。

掲載されると

図書カード1000円分

がもらえるんです。(大きい)

これに応募するために、
学校以外で周りよりちょっと多く絵を描いてきました🤏

でも、この「ちょっと多く描いていた」経験が
「センス」を育む土台になっていたなと感じています。

「センスは生まれつき」

だと思っている方も多いかもしれません。

確かに、私の家系には
絵を習っていないのに
学校や県の賞に入ったことがある人が多いです。

でも、才能があってもなくても
自分で伸ばしていく方法はあると思っていて。

私が気づいたのは、
センスというのは主に二つの力から
成り立っているということ。

一つは、頭の中に浮かんだイメージ(見たもの)を
実際に紙の上に描き出す

「イメージを形にする力」。

もう一つは、絵全体をさまざまな視点で見渡して、
どこをどう調整すれば美しくなるか判断する

「全体を調和させる力」。

この二つの力は、
お互いに高め合う関係だと思っています。

「イメージを形にする」
 →「全体のバランスを見直す」
 →「さらに調整する」。

このサイクルを繰り返すことで、
両方の力が伸びていくんです。

(独自性を出そうと思ったら、
共通項を見出し、「普通」を定義する力も必要かもしれません。)

私の場合、
新聞への絵の投稿が
このサイクルを回すきっかけでした。

でも、これは絵に限った話ではないと思います。

どんな分野でも、
自分の作品や仕事を振り返って、
より良くしようとする機会があれば、
このサイクルは回せる。

むしろ、日々の生活の中でも。

今、デザインや動画編集などの
いろいろな制作系の仕事ができているのは、
この気づきのおかげだと思います。

この二つの力を意識しながら
描いたり見たりした経験が、

知らず知らずのうちに

「貯金」

としてたまっていったんです。

⿻⿻⿻

とにかく自分を好きになれなくて、こじらせる

ここまで読むと私が

「活動的な子だった」

という印象を持つかもしれません。

でも実は、人との関わりはほとんどなく、

下校後や休みの日には
家にこもってゲームばかりしていました。

勉強もスポーツも
なんにもがんばる気が起きないので、

これといって秀でたものがなく、
劣等感の塊でした。

それが周りの子への嫉妬心にも繋がって、
内心穏やかでいられなかったです笑


この時期は、
とにかく自己嫌悪が強くて辛かったです。

自分が写った写真、動画を直視できなくて、
見るときは遠くに離して薄目で見ていました。

人前ではいつも

「自分、変じゃないかな…?」

と不安で仕方がなかったです。

学校にも家にも安心できる場所がなく、
いつも寂しさを感じていました。

でも、それ以上に、
強烈な自意識や自己嫌悪との闘いに
気持ちがいっぱいいっぱいでした。

振り返ると、この時期は

「これがずっと続くのか」

という絶望感しかありませんでした。

でも、どこかで

コンプレックスまみれの辛い毎日をどうにかしたい

と渇望はしていて。

その渇きが今の私のバイタリティ、行動力に
繋がっていると思います。


中学生期👧しんどいけど、なんで?

転機?定期テストで学年1位をとる

受験をせず、
地元の中学校にそのまま上がります。

入学時に学力診断テストがあって、

「4位以内には入るかな…
いやせめて10位には入っておきたいな…?」

とワクワクどきどきしながら受けたら
なんと20位くらい。

予想以上に低くてびっくりしました。

(勉強をしてこなかったわりに、自分への期待値が高かった。)

両親から一度も「勉強しなさい」と言われたことがなく、
(言われてたとしても聞き流していたと思う)、
それまで本格的に勉強したことがありませんでした。

しかし、このテストをきっかけに
少しずつ勉強を始めました。

順位は上がったものの、
頑張っても10位台。

「上には上がいるなあ」

とひしひしと感じていていました。


1位をとっても幸せが遠い

転機は中学二年生のときで、
めちゃんこ苦手な同級生ができたこと。

学年トップクラスの成績だった女の子に、
顔を合わすたびに嫌味を言われていました。

それが本当に嫌で、

「その子を越えたい」

と思うようになりました。

当時(も)、
基本的に一人で過ごすことが多かったです。

友達ができても深い関係を築くのが難しく、
コミュ障なのでコミュニケーションの楽しみ方がわかりませんでした。

「ニコニコしながら合わせるのがしんどいな~」

と思って、
自分から一人でいることを選んでいました。

なんだか毎日に違和感を感じるけど、
具体的に何に違和感を感じているのか分からない。

どうすることもできない日々。

でも、

「1位になればこの上手くいかない人生が変わるのではないか」

と期待を抱いていました。

そして…

願いが叶ってついい学年一位になれました…!!!

でも、

残念ながら何も変わらず、
ただただ日常が続いていくだけ。

「私はこれ以上何をしたらいいんだろう」

とさらに不安になってしまいました。

クラスで制作した卒業文集の1ページ(黒歴史)
「10年後の自分へ→楽しく生きろ!」が面影を感じる

学校外への興味が強くなる

ちなみに部活は

「迷ったら吹部へ!」

というキャッチコピーに惹かれて、吹奏楽部へ。

カスタネットからドラムまで、
打楽器を幅広く叩いてました。

人員不足でコントラバスという
巨大なバイオリンみたいなのも弾いていました。

あとはピアノを習ってないのに
(衝動的に立候補して)
合唱コンクールで伴奏をしたこともありました。

学校外の活動に興味が強くて、
国際交流フェスのボランティアや、
成人式のカメラマンボランティアなど


外部のボランティアを探して遊びに行ってました。

芸能活動にも興味があって、
いろんなオーディションも受けまくっていました。

地元のアイドルグループのオーディションに受かり、
一瞬アイドルの卵(研修生)をしていたこともあります。

(歌とダンスが下手すぎて途中であきらめました。)

とにかく「現状を脱したい」っていうエネルギーが強かったですね。

進研ゼミの表紙モデルが一般募集されてて、
載せてもらったこともあります。(一番右)


高校見学のあと、学級に行くのを辞める

学校に通うのが体に合わなかったようで、

小学生時代から毎日ひどい全身の凝り、
眼精疲労と戦っていました。


(HSPの(過敏めな)子どもがたまになるらしい)

目指していた高校があったので、内申点をとるために
かろうじて学校に行けていました。

しかし、実際に学校見学に行ってみると

「自由な校風」

をうたっているのに
ちゃんと 時間割も校則もあって
やる気をなくしてしまいました。

もうがんばる意味がなくなってしまったので、
無理して通学するのをやめて

中三の途中から保健室登校のような形で
通学していました。

↑当時「アイカーリー」を見ていたので、
このくらいはっちゃかめっちゃかしている
=自由な学校生活 だと思っていました

N高時代💻でっかくレールから外れる選択

入学の経緯 踏み切れた理由

上に書いた慢性的な体調不良で

「この生活を高校、大学と
 あと6年以上続けるのは無理だ…」

と感じたのと同時に、

「新しい世界を見たい、
 せっかくなら想像のつかない人生にしたい」

という両方の気持ちが強くなり、N高に通学しました。

先生や家族は、
従来の高校や大学進学を勧めてきていて、
それに背くことへの不安もありました。

「高校、大学に行った方がいいって言われるけど、
行かなかったらなにか悪いことがあるのかな」

そこだけ気がかりでした。

そのとき、偶然読んだ本に

「レールから外れるほど良い。
中途半端に外れるのはよくない。
外れれば外れるほどブルーオーシャンになる。」

という一節(うろ覚え)が書かれており、
そんな考え方もあるのかと衝撃でした。

「なるほど!」

とその本に背中を押されて
思い切って外れてみました。

↑この本。
今考えると、これが学校の図書室に置いてあったの
すごいな


フルリモ学生生活、万歳

N高入学後、授業がすべてリモートになり、
時間と場所の制約から解放されました。

芸能界への憧れもあり、
都会に行ってみたいという思いが強くなりました。

そこで、
せっかく都会に行くのならと

憧れの起業家の講演会に足を運んだり、

東京で行われる若者の交流会に
夜行バスで参加したりしました。

各地域のシェアハウスにも
たくさん住んでみました。


人見知りの私がよくやっていたなと今では思います。

メンタル不調が続く

しかし、
この「キラキラ」した一面の裏で、
「ダーク」な一面もありました。

長年の学校生活、
相容れない家族との生活のストレスが重なり、

体調不良、メンタルの不調が残りました。

高校2年生までは年の3分の2ほど、
倦怠感がひどくて動けない状態が続きました。

動けない日は、1日中横たわってスマホを触るしかありませんでした。

また、
睡眠障害で夜は眠れず、
食欲不振、過食もひどかったので、
きれいに生活リズムが終わっていました。

外出時には強い不安感に襲われることがあり、
それを和らげるために
香りものを持ち歩くなどの対策をしていました。

この時期は、
未知の世界への憧れと
現実の苦しみの間で揺れ動く日々でした。

元気な私になるぞ

転機は高校3年生のときに訪れました。

体調改善のためにジム、ホットヨガに通い始めたことで、
少しずつですが変化が現れ始めました。

運動が身体面での健康だけでなく、
メンタル面でも良い影響を与え、

動けない期間が年の3分の1にまで減り、
前よりも元気に過ごせる日が増えました。

この調子で
しんどい状況から
完全に脱出したいと思っていたら、

哲学や心理学などなど、
認知科学系のコンテンツにハマります。

漠然とした不安感などを
本やネット上の言葉に当てはめることで
安心できたんです。

そうやって、
それまでのひどい認知の歪みを、
少しずつ自力で調節していきました。

ホットヨガは今でも大好きで、
5年も続いています✌

ギャップイヤーなるもの

N高を卒業後、すぐには進学しませんでした。

「大学に行く意味ってなに?」

と思っていたのと、

「自分以外の人のために、長く続けられる仕事がわからない。

それが分からないまま大学や学部を選んでしまったら、
数年間を無駄にしてしまうのではないか」

という不安があったからです。

N高を卒業する前とあまり変わらないのですが、

なるべくたくさんの経験をしようと、
20職種もの単発バイトをやってみました。

また、

さまざまな職種の専門学校に行ったり、
ドラマに出演したりもしました。

芸能界への憧れが強かった分、
10-20代ならだれでも知ってる超有名な女優さんや
撮影現場を間近で見れたときは、すごく感動しました。

その体験のインパクトは今でも強烈に覚えてます。

あ、あとコミュニケーションへの苦手意識を克服したくて、
都内のコールセンターで1ヶ月間だけ派遣社員をしてみたこともあります。

↑はじめてのイラスト案件をいただいたのもこのとき


小さいころからずっと音楽が好きだったので、
第一志望は「作曲家」だったのですが、

専門学校に見学した際に、
かなりロジカルなものだと知って断念してしまいました。

作曲をやると音楽が楽しめなくなっちゃう

という悲しい現実に直面してしまいました。

ほかにも、ライティング、動画編集、企画など
さまざまなことをやり、たくさんの講座に参加してみるなかで

「デザインが向いていて続けられそうだ」

と思い、「ノマドデザイン専門学生」の今に至ります。

↑kitri好きだったな~

↑当時の投稿。さまよってるぅ

青楓館でのインターン

実は私、高校生の中盤から発信活動していました。

この活動のきっかけは、
中学3年生、受験期の経験です。

当時の私は、
通信制高校への進学を考えていましたが、
将来への不安で頭がいっぱいでした。

学校のパンフレットやネットの情報には
理想的な学校生活しか載っておらず、

実際の通信制高校生活がどうなるのか
想像もつきませんでした。

そんな時、私はある記事に出会いました。

N高のひとつ上の先輩のインタビュー記事です。

https://japan.cnet.com/article/35132933/

四国から上京して、
大人たちと楽しそうに仕事をしている先輩の姿

衝撃を受けました。

私も四国(愛媛県)に住んでいたので、

「田舎にもこんなに活発な人がいるんだ」

とかなり驚きました。

将来がわからず目の前が真っ暗でしたが、
その記事との出会いで、

「私もこんなふうにおもしろく生きたい!」

と希望が見えました。

そして、
中3の私と同じように進路に悩む人たちに、

私も希望を与えられるような発信をしたい

と思うようになりました。

「進路を考えないといけないけど何からしたらいいのか分からない」
「悶々とした日々から抜け出したい」

そんな気持ちの人に、私の経験や思いを届けたい。

そんな思いで続けていたら

発信活動を見ていたインターン生の知り合いが、
私に声をかけてくれました。

「通信制高校の発信をしているなら、
 青楓館でインターンをしてみない?」と。

その方が青楓館の代表に繋いでくれて、
インターンに参加することになりました。

⿻⿻⿻

青楓館は「自分らしく生きていく」を
キャッチコピーにしている高等学院です。

オンラインとオフラインの授業を組み合わせて、
社会の中で自分らしさを発揮しながら生きる力を鍛えられます。

プロジェクトベースの学習(PBL)や1対1のコーチングを通じて、

「社会(人)を通して、まずは自分自身をよく知っていこう」

という方針がとっても魅力的です。

起業家、芸能人、アスリートなど、
さまざまな分野のプロの講演が毎月聞けたり、
憧れの人にインタビューをしに行ったりもできます。

形態としては通信制高校に近いですが、
大学進学や就職のサポートも充実していて、
大学に行きたいと思った時に、難関校も目指せます。

私はここでプロの方からライティングやデザインなどを学びました。

本当にこの機会のおかげで、
業務委託を受けられるまでスキルを上げることができました。

↑説明会用グッズのデザインや

↓憧れの人へインタビュー(タップで読めます)

↑ゆるふわフリーランス いしかわゆきさん
マインドがすき🫶
↑ノマドニア代表のKOHさん
私も12月から英語力0でバリ島に行きます🌴
 

↑青楓館にいる社会人も生徒も
みんな温かくて大好きでした。


↑案件を受けるようになり、
そのままのノリで開業届も出しました


大学期👩‍🎓ライフスタイルは変わらない

じつは専門学生兼「大学生」なう

↑㊗成人式!ふりそで―ション~
目立ちたすぎて振袖を県外から取り寄せた

高校生時代に心理学が大好きになり、
大学進学するなら心理学系の学部かなと思い、

放送大学の「心理と教育コース」に進学しました。

でも、授業が予想以上に単調で…。

そんな中、
「心理学」と「デザイン」が融合した「UI/UXデザイン」という分野を知り、

これだ!


と思いました。

結局、大学を休学して専門学校ひとすじに。

大学は10年以上休学できるので、
また学び直したいと思ったタイミングで復学するのかな?

もっとゲームのような
楽しい学び方ができるようになっていたら嬉しいなと思います。

デジハリ大坂本校に入学

一生UIUXをやりたい。

いままで方向転換が多かったけど、ここに腰を据えたいです。


本格的に実家を出ました

つい9月のことなのですが、
ちゃんと実家を出ました。

今までは数か月単位で実家と別の場所を行ったり来たりしていました。

でもこれからほとんど実家に戻ることはないと思います。

家族の中には仲が良い親友のような人もいますが、
これからの人生を考えたときに、

シンプルにこれ以上毒を浴びるのはよくないなって思いました。

体調面もまだ完全に安定しているわけではなく、
計画通りにいかずに振り回されることも多いです。

だからこそ、自己管理をしっかりがんばりたいなって思ってます。

自分のペースで生活リズムを作って、心身ともに健康でいたいです。

健康が幸せの土台だと思うから。

↑高校生のときにセブ島に留学に行かせてもらいました。

両親にはかなり心配をかけたし、無理を言ってきたと思う。

激動だったけど、私が私として自由に生きていくために
この家に生まれてくる運命だったんだと今は思ってます。


私にとって人生って??豊かさって??

私のリズムで時を刻み、好きなものを増やしていく旅路

ウワ~~~~~~~振り返ってみたら、20年って長かったな~。

ここまでで8100字です。
お付き合いいただきありがとうございます。

「飽き性で新しい刺激を求めて大きく方向転換する」
「気持ちや体調に振り回されて対人関係でやらかす」
をいままで繰り返してきたなと思っていました。

でも、この文章を書く中で、
ちゃうかも?と気づきました。

実際は、高すぎる理想を掲げて、
現実の自分の未熟さと向き合うことを避けて
空回りしていただけだな…。

21歳はもっと
「未完成な今の私」
「目の前の生活、暮らし」
「その延長に広がる希望」
にしっかり目を凝らして、一日一日を、時を刻んでいけたらと思います。

⿻⿻⿻

私の20年間は、いじめられていたわけでも、虐待されていたわけでもないのですが、ずっと鈍い痛みを感じてきたような期間でした。

しかし、今振り返ると、かつてほしかったものがすべて手に入っています。

そのままの私でいられる居場所、
私のことを理解してくれようとする楽しい仲間、
仕事になるスキル、
何に悩んでいるのかが分かる認識力、
使命感を感じる夢。

3年前はなにもなかったですもんね。
手に入れたものって忘れがちですが、感謝の気持ちを忘れずにいたいです。

⿻⿻⿻

私にとっての人生とは、
自分のリズムで時を刻みながら、好きなものを増やしていく旅路です。

そして豊かさとは、
この旅路を夢中になって楽しみ、この世界で深呼吸をしていくことだと思っています。

完璧や理想を目指すのではなく、

不完全な自分を受け入れ、調和しながら少しずつ可能性を広げていく。

好きなものを広く、深く広げていき、世界を鮮やかにしていく。

どんな経験も、どんな感情も、ぜんぶ含めてこの旅の思い出。

そんな生き方ができたらいいな。


またみてね👋👋👋


p.s.
まだまだ私遠慮しているので、お友だち、フォロワーさん、これからもっと仲良くなろうね( ˊᵕˋ )ニンマリ

それでは、ごめんあそばせ~~~~



(≧∇≦)b