全てはこの人のために? 全仏オープン2022
テニス界は芝のシーズンに入り、つまりウィンブルドンの足音が聞こえてくる時期なので今更ですが、全仏オープンを振り返っておきます。
納得いかない男子シングルス
昨年は「テニス界のエヴェレスト」と評される仕事を成し遂げたノヴァク・ジョコヴィッチ(セルビア)が優勝しジョコファンの私は大満足でした。その仕事とは、「ロラン・ギャロス(全仏)でナダルに勝つこと」です。そして続くウィンブルドンでもジョコは優勝しGS(4大大会)タイトルも20とし、フェデラーとナダルに並びました。なのにその後の全米では決勝でメドヴェーデフに敗れ、今年の全豪はワクチン問題で欠場を余儀なくされた上に「ジョコのいぬ間に」ナダルが優勝。そして今回の全仏でナダルが優勝したことによりナダルのGSタイトルは単独トップの22になりました。冒頭の写真は、そのナダルに準々決勝でジョコが負けた時のものです。試合後の握手は実にあっさり、ジョコの悔しさが滲み出る光景でした。
ナダルが恐れていた選手は?
私は19歳になったばかりのカルロス・アルカラス(スペイン)の優勝はあり得ると考えていました。特に今年に入って大舞台でも、痺れるような接戦にもめっぽう強いし、ビッグネーム(例えばナダル!)相手にも全く萎縮することなく勝ってきたからです。ですから大会中に36歳になったレジェンドが最も恐れていたのはこの同胞の若者ではなかったでしょうか。
しかし、今最も勢いのあるアルカラスを止めたのは、意外にも「ガラスのハート」を持つアレクサンダー・ツヴェーレフ(ドイツ)でした。ドイツではアレクサンダーのニックネームはなぜか「サッシャ」になります。ですからテニス界では「サッシャ」といえばこのツヴェーレフです。(ちなみにお兄さんもプロテニス選手でミーシャといいます)サッシャはまあまあ長い間一桁ランクの選手ですからもちろん強い。しかし一旦キレるとガラガラと音を立てて崩れていくような脆さがあり、うんと格下の選手に金星を献上することもしばしばです。なので「ガラスのハート」と私は評しています。
準決勝の悲劇
ナダルにとっては、準々決勝でジョコに勝ち、準決勝の相手がアルカラスではなくこのサッシャになったことは、優勝への理想的なシナリオです。私はこの時点でナダルの優勝が決まったとうなだれました。(嫌なんかい)しかし始まってみると試合は激戦。第1セットはタイブレークでナダル(しかも10-8)。第2セットもタイブレークに入ります。なんとそこでアクシデント!ボールを追いかけた際、サッシャが足首を思いっきり捻ってしまうのです。赤土のコートに倒れ込んだサッシャの叫び声が満員のコートに痛々しく響きました。
サッシャがリタイアするまでの2セットだけでも3時間を越えていたという試合時間は、二人の接戦を物語っています。本当に残念な結果でした。
これがトーナメントの組み合わせ表(ドロー)の上半分、いわゆる「トップハーフ」です。では下半分「ボトムハーフ」では何が起こっていたのでしょう。
ボトムハーフの新鋭、そしてベテラン
ベスト8のボトムハーフ、つまり4人のうち順当でない選手が二人いました。一人はホルガ―・ルネ。デンマークの19歳!です。
男子のテニス選手でデンマーク人というのはあまり聞きませんが、彼も最近上り調子で、4回戦でチチパス(ギリシャ)を下してのベスト8です。
そしてもう一人は、マリン・チリッチ!2014年の全米オープンで錦織くんを破って優勝したクロアチア人です。もちろん覚えてますよね?
彼はキャリア終盤の今、どこか憑き物が落ちたような活躍を見せており、私はとても喜んでいます。ただ、2014年の全米チャンプとはいえ現在の彼をそこまで警戒する上位陣はいないでしょう。しかし今回、メドヴェーデフ(第2シード)をストレートで、ルブレフ(第7シード)をフルセットで破ってのベスト4です。元々ビッグサーバーで、どちらかというとカウンターショットを得意とする彼にとって、クレイは苦手なサーフェスのはずです。しかしいつも真面目にひたむきにテニスに取り組んでいる様子は画面からでも伝わってきます。そんなチリッチの活躍は今回一番うれしいニュースでした。
そんなチリッチも、目下キャリアのピーク期に入っているキャスパー・ルード(ノルウェイ)にはやはり歯が立ちませんでした。
ノルウェイというと、やはりチェティル・アンドレ・オーモットやラッセ・チュースといったアルペンスキーのレジェンドが思い浮かびます。(もちろんノルウェイですからノルディックスキーの名選手もたくさんいると思います)おそらく彼もこれからテニス界で「ノルウェイ人選手で初」という称号を数多く手にするでしょう。しかしこの北欧のナイスガイも、スペインの猛牛ナダルを苦しめるまでには至りませんでした。ナダルアカデミーの生徒でもあるルードに、校長のナダルが負けるはずはないのです。
さて大会中ナダルを最も苦しめたのはこの人ではなかったでしょうか。カナダのフランス語圏、モントリオール出身の21歳、
フェリックス・オジェ・アリアシムです。彼のコーチは現在トニー・ナダルです。そう、ナダルを育て上げたナダルの叔父さんです。ナダルを知り尽くしているトニーがコーチするオジェ・アリアシムがナダルを最も苦しめたとしたら十分うなづける話ですね。いやそれでもナダルは勝つのです。しかもフルセットとはいえ、各セットはそれほど競っておらずナダルがきっちり要所を押さえて勝っている印象です。
こんな風に、今一つ「死闘」と呼べるような試合もなく優勝してしまったナダルです。ポイントは繰り返しますが、サッシャです。サッシャがアルカラスに勝ち、そのサッシャがリタイアし、ボトムハーフからはナダルの生徒であるルードが勝ち上がる。全てはナダルのために書かれたシナリオじゃないですか?私には納得がいきません…
ところがです、最近知ったのですが、ナダルは長年足首の慢性疾患に悩まされていたのです。ミュラー・ヴァイス症候群という病名を私は寡聞にして知りませんでした。足首の骨の一部が徐々に壊死していく、決定的な治療法がない疾患で、神経ブロック注射で痛みをごまかしながら試合に出ていたというのです!
「もし神様が、もう一つGSのタイトルか新品の足首のどちらかをあげる、と言ったらどちらを取るか?」というスペイン語のインタビューで、ナダルは迷わず「足首だ」と答えたそうです。それほどナダルはこの病気に悩まされてきたということです。それでも優勝してしまう、驚異のモチベーションと「折れない心」を持つのがラファィエル・ナダルという男なのです。
女子はやっぱり…
結果から見れば女子は今一番ノッている第1シードのイガ・シュヴィオンテク(ポーランド)が優勝、しかも7試合で失セットはたったの1つ。
イガからその1セットを奪ったのは中国の19歳、ZHENGです。読み方がいまいちわかりません。しかし1セット獲ったというのがニュースになるくらい今のイガは強すぎるのです。思えば去年私は「女子テニスの楽しみ方がわからない」として、絶対的存在のいない女子テニス界を説明しました。しかし、「メンタルヘルス」に悩みながらもランキング1位であったアシュリー・バーティの突然の引退も手伝って、今女子はアッという間に「イガの1強時代」に入りました。
イガに続くのは誰なのか、今はまだ分かりませんが、今回ついにGSの決勝に登り詰めたのがココ・ガウフ(アメリカ)です。
15歳ですでにツアーで頭角を現し、いつ来るか、いつ来るかと思ったら先にラドゥカヌやフェルナンデスが来ちゃったのが昨年の全米決勝でした。そして今大会ではココが決勝にきましたが、彼女はまだ18歳です。これから誰がイガのライバルになるのか、彼女も候補の1人でしょう。でもほんと言うと、今のイガとバーティの試合を観てみたいもんです。絶対に面白い試合になるはずなのに、残念です。
戦争とスポーツって
ところで、ロシアとウクライナの戦争はテニス界にも影を落としています。ウィンブルドンを主催するオールイングランドクラブはロシアとベラルーシの選手を大会から除外すると発表しています。それに反対の立場をとるATPとWTAは、ウィンブルドンにはランキングポイントを与えないと決定しました。それはつまり今月末から始まる全英オープン(ウィンブルドン)はエキシビションだということです。プロにとってランキングに関係ない試合はいわばショーです。
しかし今度はそれに対しウィンブルドンは、倍増に近い賞金の上乗せをすると発表しました。それは聞くところによると、1回戦で負けても約800万円の賞金がもらえるそうです。選手を引き留めて大会を盛り上げようということでしょうか?
反応は選手によって違います。特に金に困っていないので、ウィンブルドンをスキップして(出場しないで)全米に備えるという選手がいる一方、ランキングポイントがなくてもウィンブルドンの価値は変わらないという選手もいます。ナダルもその一人です。ちなみに8月末からの全米オープンは、ロシアとベラルーシの選手も受け入れると発表しました。スポーツと政治は関係ないと思いたいですが、現実には両者を完全に切り離すことなど所詮無理なのです。
それにしても戦争は一向に終わりそうにありません。ウクライナでは双方に多数の死者が出て悲惨な状況ですが、どちらの国の選手も国外でテニスの試合をしていて不思議な感じもします。そしてどちらも引けない今の状況にとてつもなく不安を感じているのは私だけでしょうか?
今回はこのへんで。最後まで読んでいただきありがとうございました。