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新たなる旅立ち


沈みゆく船ほど人は吞気で船内で過ごす

会社というものを船で例えると、航海を永続的に続けなくてはいけないものだと思う。

「船長」は航海に出るための航路の確保と、悪天候や障害物といった外的影響で航海に支障があったとしても、それを乗り越える指揮、被害を受けても最小限にすることが必要であり、船長は常に先々のことを考え、間違っている方向に進んでいるならば、修正する力が船長にはないといけないと僕は思う。

また、それを「船員」たちに教え、学ばせること、もしくは自主的に学ぶ力を育てる環境を作り出さなくてはいけないのかもしれない。
そして、船員たちが船長を上回る力を持つことになれば、船長は、それをコントロールすることも必要になってくるだろう。

しかし、逆のことを考えると怖いものだ。

肩書だけは「船長」を名乗り、台風の影響で、帆が破れても見て見ぬふり。暗礁に乗り上げても、破損箇所は気にも留めず船が動けばいい。スクリューが錆びついても、交換するよりも錆止め塗装だけで良いと指示を出す。
船の損傷よりも「積荷」を無事に届けて、報酬を貰うことを優先し、沈みかけている船に乗っていたとしても、そんな状態にしたのは、外的影響か船員のせいにしてしまう。

そして、そんな「船長」ほど「自分のせいではない」と言い張り雲隠れする。

そして、その船を動かしている船員たちも、船がただ「動けばいい」と思っている。帆の一部が破れようが、船体に穴が開こうが、スクリューが錆びついていても船が「動けばいい」としか思っていない。
船員同士がケンカをしようが、仲が悪くても気にはしない。自分じゃない誰かが解決してくれれば、それで良いと思っている。

自分たちには非がないようにして、何かあれば黙っておけばいい。
船の損傷が酷くなって、表面化した時に対処しれば良い。

『沈みゆく船』ほど現実から目を逸らし『吞気に船内で過ごしている』と、僕は思った。
そんな『沈みゆく船』でも、破損箇所を直し、組織を立て直すことが出来れば良いと思って入ったが『沈みゆく船』の運命は変わることはなかった。
むしろ状況を悪化させ、沈没させる時間を早めてしまったのかもしれないと今は後悔している。

また無知な正義感ほど、傲慢だということも骨身に沁みた。


亡霊船になるか沈没船になるのか



後悔したところで、時間は有限であり、人は機械のように部品交換をしても直ることはない。同じ動きで動き続けることはない。技術進歩したとしても、スペックは変わることはない。

やりたくないものは、やりたくない。
変わりたくないものは変わりたくない。
今のままで良い。それが無難で、それで今までやってきたのだから。
それで良い。余計な事はしなくて良い。


それが、この「船」の「船長」と「船員」たちの答えだった。



その中で、自分の力量不足を痛感し、もがいてもあがいても叫んでも解決出来ないなら、賃金を受け取る船員が1人いなくなれば、その賃金が他の船員たちに再分配される。または、破損した箇所にお金を回せることが出来るならばと思い、僕は下船の道を選んだ。

また、もう1つ降りるに至っての判断ついては、数字と情報である。

それらを可視化し、自分が見てきたものを判断した上で今後の航路と航海を考えると、今、降りることが正しい判断だと思ったからである。

積荷運搬で得た「売上」を年間単位で見ていると、段々畑のようなグラフになっていた。
底打ちになってる年は、台風が来るのが分かっていても、その対応策を講じていない。暗礁に乗り上げるのが分かっていながらも、航路の変更を直前まで出来ず、暗礁に乗り上げてしまった要因がある。

その他、外的要因があったとしても、対応策が出来ていないこと、判断指示が遅れた結果が数字にも現れていた。

内外部の要因で、減収減益になった年があれば、翌年度から2年間は増益増収となる。その理由としては、積荷の大口物件があることと、「船」の修繕費用が掛かっていないことである。
しかし、3年目には減収減益になることも分かっている。その要因としては、大口物件が出た年は、新たな大口物件が出ることが少ないということと「船」の修繕費用が掛かっているため減収減益になっている。


去年が減収減益の年だったから、今年は増収増益の年となると予測はしたが、投資家のジョージ・ソロスの言葉を思い出した。

『市場は常に間違っている』

(市場とは人が作り出したシステムだと僕は考えている。つまり、人が作り出したものは常に間違っていると僕は考える。だから、人が作り出したものならば、人の手で作り直すことも出来る。手を加えれば良い方向へ向かわせることも出来る。傲慢かもしれないが…人が作り出したものは作り直して再生することが可能なはずだ。)

また、船員たちの話を聞けば「僕がいない方が船は動く」というものもいれば「安定的な航海することが出来る」と言ったものもいる。
今の大海原の中で生き残るためにも、「変化」を求め取り入れようとしても「変わったことはしたくない」という意見もあった。


今のままでいい。


「船員」たちが、そう思うのであれば、それで良いのかもしれない。
何故なら、船は沈みつつある。
「船長」は、この大海原を乗り切るためことを考えて行動をしている訳でもない。

伝えても「理屈」で終わる。

そのことに腹を立てても「船員」たちの意識が変わらなくても


船は動き続ける。


例え、ボロボロになっても動き続けなければいけない理由がある。
その「船」には「船員」たちの生活が掛かっているからである。
『沈みゆく船』だろうが『幽霊船』になろうが「船」は動き続けなくてはいけない。

『沈没船』にならないためにも、まとめ上げた数字とデータを使えば、大きな荒波が再び訪れ、船が大破したとしても修復することが可能である。また、レーダーを使いこなせば避けられない障害物はない。

と僕は思っているが、下船する前に言われたことがある。
「引継ぎ」はしなくても、良いですよ。「引継ぐ」ほど大したことしていませんからね。自分たちで出来ますから。

その時、まとめ上げた資料は海の藻屑と化した。


数字は人の行動を現し、灯台となる。


「下船」する直前、資料整理をしていて驚いたことがあった。
稼ぎ時の月の売上が急激に減っていたのである。

それを問いだすことを僕はしなかった。
その理由は二つある。

まず「下船」することを伝えた直後から「船長」からは「船」に関わらなくても良いと言われたからである。二つ目は、船員たちは僕がいなくても「自分たちで出来ますから」という言葉が、頭の中に残っていたからである。

「自分たちが出来ますから」

その結果が、数字として現れていることに、彼らは気がついているのだろうか。それとも、分かった上でのことだろうか…。

外的要因として考えると、積荷を一定以上の量を運搬してしまうと、積荷運搬を管理している組合から、収益が上がっていないとこへ回せという指示が出る。また、決められた積荷運搬量を超えてしまうと、罰金を支払わなければいけないことがルールがある。

決められた範囲で、積荷を運搬し一定の売上を上げる。
周りとの歩調を合わせ、単独行動を取らないことが組合の掟。

しかし、この大荒波時代、売上を上げるときに上げておかないと後になって資金不足に陥る可能性がある。

だが、船長をはじめ船員たちは、後に苦しくなるよりも「罰金」を払うことが嫌だったために、積荷の運搬量を急激に減らしたのではないかと資料整理をしていて推測した。

その負荷が、船を維持するための資金を減らし、次の航海をするための資金に影響を与えていることに「船長」も「船員」も気がついていない。
今持っている貯蓄と資本の蓄えがあるから大丈夫という安易な考えが、今後の航海に支障が出る可能性があると個人的には思うが、彼らにとっては「日常の出来事」として捉えられるであろう。

それが、どんなに辛いものかは彼らは知らなければ「自分たちで出来ますから」という中で、この航海を続けて行けば良いと僕は思う。

そんな船でも「数字」は自分たちが正しいと思っていた航路が間違っていると示してくれている。積荷を多く運搬し、組合から抑制される前に、改善を促している。数字を可視化し読み取る力があれば、どんな大荒波の航海をしていても乗り越えられる。「数字」は、人よりも優しい。


暗闇の中で突き進んでいるならば、予測を立てて進めば、その数字は灯台になる。もし、予測を立ていた数字が違っていて、そこに灯台がなければ、やり直せばいい。
それすらもしないで、ただ闇雲に突き進むようであれば「沈没」してしまうだろう。


「数字」は人の行動を現し、灯台にもなる。それは、使い方と使う人次第だということを「下船」してから僕は強く感じた。












新たなる旅立ち


あの「船」で得た経験は、辛酸が多かったが…。

そこで得たものは「真理」という剣「知性」という盾「体験・経験」という鎧「可視化・情報収集・思考」という兜を得ることが出来た。

その手に入れたものを装備し、僕は新たなる旅に出ることにする。
あの「船」に、再び「乗船」しないように僕は僕の「船」に作り、この大海原に航海に出る。


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