ミドサー2児の母・転職記①~公務員を辞めるまで~
こんにちは。
ある日突然適応障害になり、11年勤めた公務員を辞職したrionです。
しばらく無気力で過ごしましたが、無事転職先も決まってなんとか生きています。
34歳
未就学児2人の母
複数の休職歴あり(2度の産育休、病気休職)
履歴書に書けるスキルはTOEICスコアのみ
自分で書いていてこんなの誰も採らんやろと思いますが、転職活動を経て幸運なことに今の会社に拾って頂けました。
公務員を辞めるまで
ずっと辞めたかった公務員
私は新卒で公務員になりました。
スケールの大きい仕事に憧れ、学生時代には周りが遊んでいる中で必死に勉強をしたものです。
念願叶ってなった公務員ですが、実は入った当初割とすぐから辞めたいと思っていました。
理由はこんな感じ。
やる気がないベテラン職員が溢れており、新卒からそのフォローをすることになる
前例踏襲が基本で、業務改善の提案をすると嫌われる
通勤時間が長い(頻繁に異動するため引っ越しでは解決しない)
テレワークやリモートワークができない
大学の同級生と比べると薄給で副業もできない
パワハラ・セクハラが横行
業務量が多すぎるブラック部署が一定数存在する
・・・こんなことを書いているととっとと辞めちまえと思うと思いますが、公務員を辞めることはとても勇気が要ることで、何度も二の足を踏み、退職するまで11年もかかってしまいました。
公務員は、世間のイメージが未だにまぁまぁ良く、辞めようとすると「勿体ない」と異口同音に言われます。
実際、新卒~3年目に辞めようと思った時には親に泣いて止められ、
その後の結婚~産育休~職場復帰のタイミングで辞めようと思った時には夫に頼み込まれて止められました。
友達や同僚、先輩に相談しても勿体ないから考え直したらと言われるだけ。
同期も沢山いるのにほとんどの人が辞めずに頑張っています。
確かにクビにならない安定した仕事。
親や夫の気持ちは分からないでもない。
でも、私は2人の子供を産んで育てていく中で限界を感じていました。
習い事やお受験のことを考えると、せめてリモートワークはできるようになってくれないと自分の理想とする子供との関わり方が実現できない。
悶々としながら毎日を過ごしていました。
辞めるきっかけになったこと
ずっと疑問を持ちながら続けた公務員を辞めるきっかけとなったのは、ブラック部署への異動でした。
福祉関係の部署でしたが、自分以外の職員は残業時間が80時間以上、平日に終わらない仕事をやるために土日も出るような職場でした。
私は育児を理由とする短時間勤務をしていましたが、他の職員と変わらない仕事量を与えられました。
その仕事が時短内で終わるはずもなく、結局毎日のように残業をすることになりました。
最悪なことに上司は「私も大変だったけど出来たわよ」と言ってしまうようなバリキャリ女上司。
早く帰ることに表立って文句を言うことはありませんが、助けてくれることもありませんでした。
子供の寝顔しか見られない日が続いたある日、急にひどい頭痛とめまいがして起き上がれなくなり、出勤できなくなりました。
受診結果は適応障害。
しばらく病気療養を取得し、心身ともに休めることとしました。
療養期間で考えたこと
療養期間当初は毎日泣いて過ごしました。
仕事をうまくできなかったこと、上司や周囲に上手に助けを求めることができなかったこと、気付かない間にこんな状態になるまでボロボロになっていたこと。
社会人11年目にもなって何をしているんだ、と、
自分自身に呆れ果てるような、ガッカリするような、そんな心境でした。
仕事は休むけれど普通の家事や育児はしなければなりません。
涙を流して落ち込みつつ、忙しく働いていた時に溜まってしまった家事や雑用をしながら過ごす日々でした。
もう公務員としての経歴にバツがついてしまった。
周りも私を腫れ物として扱うだろう。
元の職場への復帰にはどうしても前向きになれず、ついに私は公務員を退職することとしました。
泣きながら過ごす姿を見ているため、今度は親も夫も渋々納得してくれました。
もちろん職場の管理職や心療内科の医師には「勿体ない」と引き止められましたが、振り切っての決断。
退職の意向を伝え、余っていた有休を消化することとしました。
しかし、すっかり仕事を辞めてしまうと通っていた保育園も退園になってしまう。しかも完全に社会との関りを絶ってしまったらこのまま何もできなくなってしまう。
そう思ったことから、ダメ元での転職活動を始めることとしました。
つづく。
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