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個展「The Cemetery Gate」 2024/9/24-9/29 @ギャラリーマロニエ(京都)
遅ればせながら、ギャラリーマロニエにて開催しておりました個展「The Cemetery Gate」にお越しいただいた皆様、お力添えいただいた皆様、ありがとうございました。
『The Cemetery Gate』
2024/9/24-9/29 ギャラリーマロニエ(京都)
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今回はたくさんのご高覧をいただき、嬉しいお言葉もたくさんいただきました。ありがたいです。これからの励みになります。
初の試み(続かないかも)で、個展期間中に思ったこと感じたこと、作品についての後日談をこういった形で書いてみようかと思いアカウントを作成しました。ラフな感じで書き留めます。蛇足にもなりうるので、あくまで試しです。興味がある方に読んでいただけたらと思います。
この個展は、DMにも記載した通り、亡くした友人に対しての祈り、また自分の気持ちを整頓する目的であの場所をつくりました。
まずは展示空間について。
会場を決めた時から両端に作品を垂らし、真ん中に立ちたいと思っていたので、ああいった展示形式にしました。
あの空間は私にとっては今回初の試みでした。
展示形式に迷いがあり、今までもパネル張りと吊るし形式を交互に試していました。パネルであれば比率を気にしたり、隙間をつくるかを気にしたり、吊るしは裏打ちを試したり、掛け軸のようにしたり…。
今回は、布の裸感?というか。ありのままの布であることに拘って、端の処理などをせず、ただの染め布という形にしました。前を歩くと靡くところ、風でゆらめいている自由で気持ちよさそうな作品たちを見ることができて、良かったです。
6枚の布に分けた理由は、刷毛を用いて染色する場合の制限です。布は染める時に枠や伸子といったものを使ってピンと張ります。その状態でムラなく染めようとすると、どうしても布幅に制限がかかってしまいます。でも、だからといって、縫い繋げればいいわけだし、絶対に分けなければいけないわけではありません。
ではなぜあの展示形式にしたのか。私は、縦長に布が吊るされている様を見ると、見えない気持ちなどが天にのぼっていく感覚を覚えます。私にとって「祈り」の布は、あの形式をしているのです。教会のステンドグラスが縦長だったりするのも、イメージの根源にある気がします。絵と合わせて考えると、そういったイメージを表せていたかはわかりませんが、そういうイメージで空間をつくりました。
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友人などが来た時は、作品と作品の間に座って、見上げながらゆっくりお話をしました。大きくて穏やかな空間で心地よかったです。
数年前、京都市立芸術大学の卒展で、大きな絵を好きになりました。ずっとみていられるような絵でした。京都市京セラ美術館で開催されていた奥村厚一展でも、大きな山の絵を好きになり、しばらく眺めていました。私も、ゆっくり見つめていられるような絵を描きたいと思っていました。今回は、それが達成されたかのような感覚があったので、今までの展示よりも上手くいったかな、と思っています。
ある友人が、「小さい頃、近所にあった誰も住んでいない家が怖かった。廃墟は怖いというイメージが強かったが、この絵を見て、そういった側面だけじゃないことに気づいた」という感想をくれました。
私はこれが本当に嬉しかったです、私の中に、”廃墟が怖い”という気持ちは全くありませんが、それが伝わった気がしました。
テーマについて。
今回初めて、私のテーマに「命」「生」「死」が大きく関わっていることに気づきました。いや、気づいたというよりも、言語化できた、意識できた、のほうが近いです。今までは少し濁して「マイナスの感情」という風に表現してきましたが、その言葉の裏側にあった希死念慮を、詳らかにするのが恥ずかしい、という気持ちがありました。こっそりテーマとして持っていた「命」、「生」「死」や、「不安」「恐れ」「怒り」…私は、ネガティブな感情になることや、思考になることのほうが多いです。そして、口で説明を求められた時に、どこまで言っていいものなのかわかりませんでした。いや、今もわかりません。
今回、いつもよりもくっきりと、テーマに「死」が入っていると意識して、制作しました。それは自分の経験から選んだテーマですが、今回、このようにはっきりと意識して制作をしたことが、結果としてこれから何がつくりたいのかを認識することができたように感じます。
制作をする意味、いつもいつも、ないと不安で、なければいけないものであるという認識があり、強く強く求められている気がします。しかもそれには正解がある気がして、私の制作する理由は、不正解な気がしてきます。ここは、気の持ちようの部分もきっとありますが、どうしても人の目を気にする私が、「死」をテーマにしているなんて、言えなかった、のです。
少しずつ、少しずつ。言語化?できたら、と思います。
型染めは、いい技法です。不自由さ、それが私を導いてくれるような気がします…。長いプロセスが、私を整頓してくれるような気がします。握った刀で型紙を彫る時、失敗すると戻れないゆえに、慎重に、そして力強く意志を持って、彫ります。私の輪郭をも、くれるような気がします。
前回の個展の時の作品をつくっているときに、型染めは私の技法であるという認識を強く持ちました。なんていうんですかね…写真をやっている友人と話した時に、「技法にはテンポがあって、人間と合う合わないがある気がする。」と言っていて、それをひどく気に入っていますが、そんな感覚ですかね、なんか、私に合うなというか、、、昔は型染めは嫌いでした。段取りをしっかりしないとダメだし、なんせ制限が多い、技法に入るまでが長すぎて、めんどくさいだとか、一個一個つくるのに時間がかかるから、他技法の同期たちにおいていかれている感じというか…その全てが嫌いでした。常に不安を抱えており、ずっと焦って生きている私には不向きだと思ったし、やめようとも思ってました。でもなぜか、やめなかった。なんでだろう?それは、あまりよくわかっていません。他の技法でも苦手なものはあって、それはすぐにやめたのに、型染めだけは、いやまだわからんからもう少しやってみよう、ここで辞めるのは悔しいと思ったことだけ、覚えています…。
思ったより、長くなってしまった。いい個展ができて、嬉しかったです。
こういう長いのから、軽めの日々の制作日記まで。
ちょっとずつ、文字にして残しておきたいと思います。