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ゲシュタルトの祈り

育児に迷った時、
いつも思い出すのが


〝ゲシュタルトの祈り〟

です。

私は私の人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きています。
私はあなたの期待に応えるために生きているのではないし、
あなたも、私の期待に応えるために生きているのではありません。
私は私。
あなたはあなた。
もし縁があって、私たちがお互いを見つけたなら、それはステキな事です。
でも、もし見つけられなかったとしても、
それはそれで、良いのです。


(英語)
I do my thing and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,
And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I,
and if by chance we find each other, it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.

フレデリック・S・パールズ(ドイツの精神科医)


人間関係全般に言えることだと思うのですが、
自分が苦しくなる時って、
相手への期待やコントロールが入っている事が多い。



アドラー心理学でも言われる、
課題の分離。
ですよね。



それは誰の問題なのか。




前回の記事ともつながるのですが、
夫婦や親子、兄弟。
近しい人との間で、
境界線って曖昧になってしまう気がします。



特に親子。



最近は先祖代々からの様々な受け継がれてきたものを解除する流れがきまして。
つい先日、
亡くなった祖母からも言われたことでした。



悪しき習慣は
見える見えないに関わらず
様々な形で受け継がれている事があって。
見えない世界に全く興味がない方には
なんじゃそら?
かもしれませんが、
そう言った課題を任される時があります。


そして、
私が子供達の人生を勝手に背負わない。
決めた瞬間に、
また現実でも動きがありまして。


答えがきたなぁ。
と思ったのです。




私にきたお題は
〝親子の因縁を解除すること〟

でした。


双方の祖父母より、
きたお題。
もっと前からあったのでしょう。


自分の在り方、生き方。
そして、
家族であっても、
ただ今この瞬間チームを組んだだけで、
そこに一切のコントロールはあってはいけないということ。
温かな思いを持ちながら、
お互いを尊重し合い、大切にし合う事。



虐待の連鎖は解除できたものの、
もっと深い部分に課題がありました。



今、子供達と共に。
並行して、
今体の自由が効かなくなってしまった父の支援をしながら、
同時に解除しつつあるのでした。



なんにせよ、
境界線は勝手に侵してはいけないこと。


人間関係において、
ゲシュタルトの祈りは、
私の指標となっています☺️






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