公邸料理人の仕事を振り返りながら
9月10日づけで、長く続けた公邸料理人という仕事を離職しました。
26歳の時に、たまたま僕の所に舞い込んできた話で、
無知な若造が、飛び込むようにこの仕事を始めました。
思えば、14年もの間、公邸料理人という肩書きで海外を転々と
してきたことは、何よりの経験でした。
現在、イスラエル人の嫁はんと起業し、これから様々なことに
チャレンジしていくのですが、この14年間というのは、今後の
ベースになると思います。
多くの舞台に立たせていただきました。
秋篠宮両殿下にお食事を作らせていただいたのが、
一番の出来事だったと思いますが、その他にも
様々な方にお料理を作らせていただきました。
大変光栄な思い出です。
私の父方の祖父が貿易商だったということもあり、
子供の頃から異文化を感じる料理や、家具などが短にあったこと、
母方の祖父が畳職人であったことなどから、海外で活躍する板前さんに
なりたいと夢描いていました。
日本で板前修行をしていた頃に、海外で和食ブームが起こり始め、
これだと思い、裸一貫で5万円と包丁握ってロンドンに渡英。
英語もできない自分の描いていた夢と現実の違いに何度も涙しましたが、
我武者羅にもがきながら、当時大ブレイクしていたNobuの門を叩きました。
採用してもらってからも、言葉足らずの英語足らずの自分には苦難の道でしたが、
多くの方に支えてもらい、日々葛藤していた中、急に舞い込んできた公邸料理人
というお話。
まさにそこからでした。
様々な国で活躍の舞台をいただき、今日に至ります。
そして今日、このコロナ渦の中、突き進むべく、イスラエル人の嫁はんと
切磋琢磨していくつもりです。
公邸料理人の仕事は面白くもあり、毎日バタバタのお仕事でした。
時には寝る暇もないことも多くありました。
大使の招待するお客様に料理を提供するのですが、
様々な方が来られるので、食事制限など様々なことをクリアしながら
やっていく必要がありました。
実は今回立ち上げた”シェフの家”は大使公邸がモチーフで、様々なシェフが
ここで料理を作ります。ホストをされる方が、いわゆる私たちの大使です。
この家で様々なシェフがお客様と触れ合って、活躍の舞台を取り戻す、もしくは
作り出していくのが、今回の目的です。
先日、試験的に友人を集めて、シェフを招待してやってみたのですが、
思った以上の反響がありました。
シェフは私たちが発掘していきます。
専門、年齢、国籍なんか全く気にしてません。
美味しいものが作れる方を発掘し、料理を振舞っていただくのが、
私たちの仕事です。
”美味しい”というのは最高のエンターテイメントです。
ただ良い食材を使えばいいというわけではありません。
料理には必ずストーリがあります。
もちろん料理人にもストーリがあり、
全身全霊でそれを披露していただきます。
そこに新しいストーリーが私たちの作ったシェフの家で生まれます。
これが私たち夫婦が考えたエンターテイメントです。
先日、イラク系ユダヤ人の方にシェフを勤めていただきました。
彼女はとても優しくて、恥ずかしがり屋。
家が近所で、よく遊びに行ってたのですが、
兎に角、彼女の料理が美味い。
ということで、我が家のシェフを務めていただきました。
イラク料理?ってなると思います。
私たちのイメージの中に、イラクというと戦争などの怖いイメージが
まず浮かぶと思うのですが、実は深い深い歴史のある国です。
そんな彼女の家庭料理に魅了され、彼女を招待し、私の食通の友人たちに
集まってもらいました。そして大成功。
彼女には事前に何点か、お願いをしていました。
料理の説明をしてほしいということ。
スパイスを見せてほしいということ。
料理ができた後は、みんなと一緒に楽しんでほしいということ。
彼女はイラク系イスラエル人です。正確にいうとイラク料理ではなくイラク系ユダヤ人の料理です。
ユダヤ教の教えを守りながら作られる彼女の料理には歴史を感じさせられました。
私たちが今まで見たことがないスパイスを巧みに使った料理は食通たちを唸らせました。
この彼女のストーリーが新しいエンターテイメントを生み出したと確信しました。
そして、彼女は実はシェフではありません。
ウェディングフォトグラファーなんです。
ただユダヤ人ならではの大家族で、頻繁に40−50人の料理を作ったりします。
なので、料理の腕は確かです。
我が家で料理作ってー!ってお願いをしたのですが、快く引き受けてくれました。
彼女は我々のイラクの偏ったイメージを打ち崩してくれました。
今、私たちはイラクのイメージは美味しい国になりました。
特殊なスパイスにユダヤ人特有のライフスタイルから生まれた数々の料理。
ここイスラエルでしか味わえない料理でした。
公邸料理人として海外を転々としていると、多くの異文化を目にすることができました。
そこに感動があり、それをエンターテイメントにしたかったのが、今回の大きな理由です。
そして活躍の舞台を創り出していく。
このアイデアはまさに公邸料理人の経験からです。
今後も日々の出来事をブログにしていきますので、
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