海外での和食
少し自分の紹介も兼ねて、外国での和食についてお伝えしたいと思います。僕は広島県で6年間修行してから、裸一貫で渡英しました。渡英のきっかけになったのは海外での和食ブームを耳にしたからですが、もともと外国に憧れがあった僕は、その情報を得た時から躊躇いはなく、若さもありましたが、海外での活動に大きな一歩を踏み出したと思います。
僕が渡英したのは今から18年前のことですが、外国で和食がブームという話題があり、日本の食が、コロナ前までの日本への観光客誘致に大きく食が貢献してきたと思います。私が渡英した時は、外国で和食が大ブームというニュースをよく見かけましたが、実際のところ確かにブームにはなってきていましたが、日本人が描く、これが和食だという料理ではなく、その土地や外国風に変化した和食で、実際に私が働いていた職場もそういった感じでした。
ナイスチョイスだったと今でも思っているのですが、私の最初に渡航したのがイギリス、ロンドンでした。ヨーロッパの経済都市であり、イギリス人以外にも多くの外国人が就学や仕事をしており、同じような外国人が多くいたので、英語を学びながら仕事をし、良いスタートが切れたと思います。
当時、自身が板前であるというと、Wow,coooolみたいに返事が返ってくることが多くありましたし、実際にブームであったのは間違い無いのですが、やはり一番人気は鮨であり、今でも根深く世界に広がった日本の料理だと思います。
渡英後、様々な経験をして、その他の国にモンゴル人もびっくりな遊牧民ばりに移動して生活してきましたが、ロンドンとは全く違う和食のあり方というものがありました。ここ20年で大きく和食というものが受け入れられましたが、様々なステップがあったように思います。イギリスの後、極東ロシアのウラジオストック、クロアチアの首都ザグレブ、スイスのバーゼルとアルゼンチンのブエノスアイレス、そしてイスラエルなのですが、場所も変われば、味も変わり、受け入れられる内容も変わります。例えばザグレブでは生魚はなかなか壁がありました。肉大国のアルゼンチンでは鮨はサーモン一色のような感じで、お肉のお寿司をよく作っていましたw。その国の食の習慣や日本との関係で全く手に入る食材も違いました。現在、僕が住んでいるイスラエルでは鮨はかなり定着しています。これも皆さんが想像する鮨と少し違います。
結論からいうと、外国での和食は、我々の想像する和食ではなく、ニューヨークなどのメガシティで流行った料理が、色々な国に広がっていったと僕は受け止めています。なので日本人が想像する和食とイメージが変わります。その中で近年の日本への旅行客の増加に伴い、より日本のものが求められるようになってきていると思います。
ここイスラエルでも、そういった動きがあります。直行便のまだ無いこのイスラエルでも日本の食材は多くなってきました。個人的にイスラエル人の日本への関心は非常に高いと考えていますが、山葵や柚子を作っている国はなかなか少ないと思います。それだけ日本に関心があり、素晴らしいと思ったものは誰かが試行錯誤して短なものへと変わっていきます。ただやはり物価が高いので、なかなか個人では購入しにくいものです。以前、日本の野菜などを作っている農家さんと立ち話していたのですが、『なんで日本の野菜とか始めたのー?』と聞いてみたら、これだけ日本の料理のお店があるんだから、当然始めるでしょ?みたいな感じで返事が返ってきました。
親しくしている鮮魚店のオーナーも、魚の名前を日本語で覚えています。私が英語で言うと、時々通じませんw。彼も鮨のおかげで、売り上げが上がって、そこにビジネスチャンスを見つけた人です。大の日本ファンで、最近包丁を日本から購入し、大喜びしてましたw。
和食がブームになることで、そこに繋がる事業も非常に盛り上がってきていると思います。また短になった日本の食材や調味料も様々な分野の料理でも使われる機会が増えてきたと思います。