「バリー・リンドン」
アウトプットの場はnoteに見つけたけれど、
インプットも大事にしたい。
そういうわけで『わたしの雑記帳』と題して、
映画や読書の感想を残していこうと思います。
第1回は映画「バリー・リンドン」。
『バリー・リンドン』(Barry Lyndon)は、スタンリー・キューブリック監督が、18世紀のヨーロッパを舞台に撮り上げた1975年のイギリス・アメリカ合作の歴史映画である。原作はウィリアム・メイクピース・サッカレーによる小説"The Luck of Barry Lyndon"(1844年)。アカデミー賞の撮影賞、歌曲賞、美術賞、衣裳デザイン賞を受賞した。(Wikipediaより)
第1部は18世紀半ば、アイルランドの農家に生まれたレドモンド・バリーが身分ある女性と結婚して貴族としての暮らしを手に入れるまで。
第2部でレドモンドは散財し放蕩の限りをつくす。さらに自分と息子のために爵位を手に入れて本物の貴族になろうとするが……。
といったお話。
⚠️以下、ネタバレあります⚠️
18世紀って……
取引がこじれて決闘
博打でお金を借りたけど払いたくないから決闘
名誉が傷ついたから決闘
18世紀、決闘しすぎじゃない?
あと記憶に残るのは、戦列歩兵。
軍楽隊のマーチ(ユーキャンのCM曲)に合わせ、
敵の銃撃隊に向かってひたすら歩く。
当然、ばったばった撃たれて死んでいく。
何事に対しても、死に対してでさえ、
なんだか鷹揚に見える。
これが18世紀の空気感なのか?
これがNHKの「映像の世紀」でも引用される、
ツヴァイクの第一次世界大戦開戦時の感覚に
繋がるのかなぁとも思った。
最後は皆同じ
18世紀の鷹揚さ、
主人公・レドモンドにしてもそうだ。
物語の序盤では恋人が裕福な軍人に心変わりしたことから相手の軍人に決闘を申し込む。
しかし、肝心の彼女の気持ちを確かめもしていないので、自分ひとりで故郷から追われていく。
なんのために命をはったのか分からない。
このレドモンド、嘘やハッタリをかましながら
わらしべ長者的に成り上がっていくのだが、
ところどころでツメが甘い。
厳しいイギリス軍が嫌になって逃げたのに
もっと厳しいプロイセン軍に捕まるし、
お金を出してくれる、
貴族の妻は放置しっぱなし。
息子を溺愛する一方、
継子には辛く当たったのが破滅の引き金となる。
でもこのツメの甘さこそ、
人間味なのではないかとも思った。
それに彼にとって一番大切なものは
手に入れることが出来なかった。
彼は自分はもとより、
溺愛する息子の将来のために
貴族になろうとした。
だから散財にも拍車がかかったわけだが、
息子には事故で先立たれてしまう。
一体彼の行動のどこが間違っていたのだろうか?
正直私にはわからない。
これはジョージ3世の治世。
その時に生き争った人々の物語。
美しい者も醜い者も今は同じ、すべてあの世。
物語は、最後は皆同じだと締めくくる。
金や名誉や愛を手に入れようと
その時それぞれが最良と思う決断をした。
それでも手に入ったり入らなかったり、
人生は諸行無常ということなのだろうか。
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