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暮らしがある場所でアイディアを紡ぐ

コンセントでは、2023年度から「ひらくデザインリサーチ」という活動を実施している。有志メンバーが集まり、自分の興味や関心をベースに問いを立ち上げ、探索するためのデザインリサーチプログラムで、「土着」「工夫」「余裕」という3つのテーマに分かれて活動している。

土着チームは、「土着的なコ・デザインのエコシステムを複眼的に捉える」というテーマで、会津でのフィールドワークを実施した。調査にあたっては、「複眼的」という名の通り、メンバーそれぞれが事前に独自の「問い」を立て、それぞれの視点からフィールドワークでの気付きを解釈するようなアプローチをとった。同じフィールドを複数の異なるレンズを通して見てみることで、「土着とは何か?」を多面的に捉えようという試みである。このマガジンでは、リサーチャーそれぞれの気づきを個別の記事として随時配信していく。

土着チームメンバーそれぞれの視点

自分の日本語は、その関西弁を隠せたことがない。
幼少期から大学までずっと関西で育った自分にとって、みなが関西弁で考え話すことに疑いを持つことさえないくらい当たり前のことだった。

コンセントへ入社するのに合わせて、自分は人生で初めて東京に、関西以外の日本に、住むことになった。
最初はエスカレーターで左に並ぶこと、小学生が標準語で会話をしていること、天気予報のマップの中心は東京都で琵琶湖や淡路島がないこと、お蕎麦は醤油が効いていることなど、日常の小さな景色の中に初めての感覚がたくさんだった。
そして、何より新鮮だったのは東京から見ると関西は「地方」であるということだった。

上京する日に飛行機から眺めた、いつもの景色

東京にいると、東京以外の土地はすべて「地方」と言われているように思う。
関西人のプライドとして「地方」と呼ばれることへの反発はあるのだが、東京で生活をしていく以上それも受け入れていくしかない。
ここはありとあらゆるものが集まる首都なのだから。
東京での生活に少しずつ慣れてくると同時に、自分は「ここはあくまで仕事のために住んでいる場所やし、ここにずっと住むよりかはいつか関西帰りたいわ。」という気持ちも抱くようになり、東京にいる自分はどこか本当の自分ではない感覚を持ちながら日々仕事をしていた。

今回、仕事をする過程で「デザイナー自身が問いを立ててみる」活動として、このひらくデザインリサーチに参加した。
その際、テーマとして自分が最初に考えた問いは「地域性と考え方には相関があるのではないか」だった。
同じ日本でも、話す言葉、見えている景色、食べているもの、吸っている空気の匂い、五感で感じるものはそれぞれの街で違うように思う。
違うのであれば、それが考え方やアイディアの善し悪しを自身で判断する際に影響しているはずと思ったのだ。
それぞれの地域の空気がきっと自身の思考に影響しているのではないか、そう考えて「土着」チームで活動することにした。

今回のフィールドワークの地は、福島県の会津。
子供の頃から地名は知っていたが、福島県も、会津も、初めて訪れる場所だった。

会津で生活をしながら、それぞれの想いや考えを実現するためにお仕事をされている方々にお会いし、お話を聞くことができた。
その中で、会津の田園風景に囲まれているからこその考えるスピードや考え方があるということ、東京では同じことを同じようにはできないと思うというお話があった。
自分の中にあった「地域性と考え方に関連がありそう」という問いに対しての1つの答えを得られた気がした。

会津で信念を持ってそれぞれのプロジェクトをされている方々とお話する機会をいただけたことは、やはり地域の文化を踏まえてのデザインはあるのではないかという考えに繋がり、自分の場合はそれは関西にあるのではないかと思った。
会津を出発し、郡山駅で新幹線に乗り込むまでは。

会津若松で流れている時間は、夕陽にも現れている気がした

郡山駅で東京行きの新幹線に乗り込んだ時、「東京に帰れるの、楽しみ。」と思っている自分がいた。
その気持ちを抱いたことに自分自身がとても驚いた。
なぜなら、今までは関西こそが「帰る」場所であり東京は「仕事のために戻る」場所という感覚が自分の中にあったからだ。
東京に「帰る」という思いを抱いたのも、「あの大都会で物事を考えられることは楽しみ」と思ったのも、自分の中ではあまりに大きな変化だった。

会津での時間を経て、自分の中で「土着的」というイメージが大きく変化したのだと思う。
まず地域があり、その地域だからできるという意味だけではなく、むしろ人々の日々の生活があってその生活が組み合わさった結果として生まれてくるものが土着的なのではないかと。
それは、東京にはなくて、地方にこそあるものではない。
それは、東京にいる自分にはなくて、関西にいる自分にあるものではない。
むしろ、自身のマインドの問題なのではないかと考えを変えた。

自分は東京で育ったわけではないから、きっと東京「の」人にはなれないと思う。
けれども、東京で生活をしながら、その生活の中で見つかる気づきや課題、楽しさなどを日々の「プロジェクト」に変換できたら、土着的なコトの一端はできるのではないかと思う。

コンセントでの仕事もそうなのかもしれない。
東京という街にある会社。
その地域で起こっていること、そこで暮らしている人々が考えていることに意識を向けて、仕事をしていきたいと思うようになった。

そんなことを新幹線に乗りながら考えていたら、東京駅に着いていた。
目の前に広がるいつもと同じはずの東京駅は、会津へ向かう前に見た様子と違って心なしか鮮やかな気がした。
今日もこの街で暮らしながら、自分に何ができるかゆっくり考えを深めていこうと思う。

東京の、いつもの光景の中に、新たな発見がきっとあるはず

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