鹿児島の野ぼとけ15
石仏があるということは、それを彫った石工がいたということである。
以前も言ったように、その個人名が明らかになることはほとんどない。
しかし、誰が彫ったのか分かる唯一の手掛かりがある。
それが「作風」だ。
作風によって「この石仏彫った人、絶対あの石仏彫った人だろ。名前は知らんけど。」と分かるのである。
この仁王像もその一つだ。
廃仏毀釈によって派手に壊されている。
さらに風化も加わり、その姿はとても痛ましい。
ただ、一体だけ頭部が残ってくれたおかげで、この周辺で一人の石工が活躍していたことがわかるのだ。
ここから数キロ離れたお寺の隅に、同じく仁王像がいる。
こちらは土に埋められていたため風化が酷くなく、一見すると先ほどの仁王像と違う石工に思える。
しかしよく見ると目が同じだ。
そして石材も同じ。
地理的にも同じ石工のものである可能性が高い。
仁王像の制作を任されるほどなので、当時は名の知れた人物だったのだろう。
しかし今となっては彼のことは誰も知らない。
仕事っぷりだけで存在を知らしめる。
まさに職人だ。