私の歴史~~武術に憑りつかれた男23
予想どおり翌日の日曜日は太ももの筋肉痛がひどくてまともに歩けなかった。
それでも、暇さえあれば定歩崩拳と馬歩穿掌を繰り返した。
夜は自宅のサッシのガラスに自分の姿を映して、姿勢が崩れていないか、前足に重心がいっていないか、肩に力が入っていないかを確認しながら稽古した。
風呂に入って湯舟につかって、肘の窪みにお湯が溜まるか、何回も繰り返してやってみた。
なかなか肩の力は抜けないし、肘の窪みに充分お湯をためることはできなかった。
それでも、暇さえあれば繰り返し繰り返し、何かにとりつかれたようにやっていた。
仕事では、H先輩が、「おい、石月君、あんたもそろそろ営業出てみないか?」と言ってきた。
私は仕事のことなどどうでもいいと思っていたので、「あ、はい」などと気のない返事をした。
「それじゃ、どの方面の営業がいいかな?」
私は迷わず「東北方面がいいです!」と答えた。
Hさんは関西方面、Nさんは北関東地区、Uさんは東北方面、常務は東京方面だった。
私は出荷係で、それぞれ先輩が売ってきた商品を出荷していたので、どなたがどんなお客さんを持っていて、いくらの売り上げを作っているのか全部は把握していた。
私は社内でもできるだけ目立たずに穏やかなサラリーマン生活を送りたいと思っていたので、お客さんの数も少なく、売り上げも少なく、出荷量作業が少ない東北方面のお客さんのところに行きたいと思っていた。
私の勤めていた会社は婦人もののセーターだけではなく、織物の卸もやっていた。
大先輩のUさんは、その織物とセーターの両方の営業と出荷をやっていた。
そのUさんが営業に行っていたのが東北方面だった。
Uさんは、織物の仕事と両立できるように、東北の小さな問屋さん少量づつに売っていた。
私がUさんのお客さんを引き継げば、Uさんは織物のほうに専念できるし、私は東北ののどかな雰囲気を楽しみながら地味に細かく商売ができると思った。
Hさんは、言った。
「石月君、あんた若いのにずいぶん夢のないこと言うんだね。」
夢?????????
なんかすごく場違いな言葉に聞こえた。
私の頭の中に「仕事」と「夢」を結びつける思考回路がなかった。
「都会に出てさ、おっきい会社と取引してさ、何十億って商売をして、いっぱい給料とボーナスもらっていい暮らししたいとか思わないの?」
Hさんは不思議なものを見るような目で私に言った。
私は正直言ってそんなことは夢にも思っていない。
「あ、は~」と気のない返事をした。
Hさんは、「いい若いもんがそんげなことじゃだめらこっつあ。おれ、明日から東海道に出張らっけ、おめえさん、いっしょに行こう。」
ずいぶん急な話だと思った。
「明日朝、3時、会社の前に集合ね。」
「えっ?朝3時ですか?」
「あったりめらこって。東海道らよ、静岡、浜松、豊橋まで行くっけ、遅れんなよ。」
「もしかして車で行くんっすか?」
「東海道行くのに新幹線だとカネかかるっけの。」
私はがっかりした。
もっと楽して行きたかった。
東海道なんて生まれて初めて行くし、車の運転だって、柿崎までしか行ったことはない。
不安でいっぱいだった。