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2002年からの武術エッセイ

まだ薄暗い朝。
天にかかっている月を眺め、八卦掌の形をとる。
歩き始めると同時に敵が円の中心にあらわれる。
すきなく手足がそろうように意識で体中を点検する。
敵の動きは千変万化といえども、主導権はこちらにある。

回るに連れて体は敵と戦い、意識はいろいろなことに思いをはせる。
きのうのだれかの言葉、態度、うれしかったこと、悲しかったこと、腹立たしい思い、仕事のこと・・・・。
あれを今日のうちにしておかなきゃ、あれはもう手遅れかもしれない、これからはこんな感じで仕事をすすめていこう。
今日は金曜日、あしたは会社は休みでも仕事になるなあ。
朝、晴れていれば釣りに行こう。
どんな釣りかたをしようかな。
楽しみだなあ。

月影が薄らぎ、まわりが明るくなり、朝風が吹き、霧がたちこめ、乳白色の青空がすがたをあらわす。

右回り、左回り、転換し、円転し、まわりの風景がかわっていくにつれて、思いもこころもうつろっていき、円周上のうしろのほうにいろいろな自分が置き去りになっていく。

無心にならなければならないなんて以前は思っていたが、今では全部自分のなかのものを洗いざらい円周上に吐き出して、一分前の自分さえ今の自分ではなく、将来のことを決めようと考えている自分ですら、今の自分ではなくなっていることを感じる。

体中に新鮮な空気の力が充満し、走圏が終わる頃には爽快な思いだけがのこる。

無心にならないことが無心への近道なんだと思う。

2005年10月記す。

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