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私の歴史~~武術に憑りつかれた男10

高校3年になり、卒業の時期が迫ってきた。
部活も引退となり、あとは、時々後輩の指導をするくらいだったが、私が型ばかり教えるので、たった一人しかいない後輩もやめてしまった。

どっちにしろ、私自身が中途半端なので、それもしかたがないと思った。

柔道の創始者嘉納治五郎先生は、型と乱取りは車の両輪だとおっしゃられていたそうだ。
私もそう思う。
型では柔道の動きを作る。
乱取りでは、それをつかって技の熟練度を試す。
その繰り返しで、柔道ができあがる。

型の中には、相手が拳で突いてくる設定がある。
乱取り試合では、相手が突いてきたらすぐ反則になる。

しかし、実際に最初から襟をとって組むことはない。
当然、突き蹴りから始まるのが普通だ。
まして、組み合っている最中だって、殴ってきたり蹴ってきたりする。
その可能性を無視して試合をするから、立ち方も組み方も変則的になるのだ。
ルールの中では有効でも、実戦的にはありえない。
そんなことにならないため、乱取りでも自然体で行い、たとえルールを無視して相手が突いてきても蹴って来ても対処できるような組み方でなければならない。

嘉納先生は、スポーツを国内に広め、オリンピックを日本で開催するために尽力した方だが、自分の作った柔道については、スポーツではなく武道なんだという意識でいたと思う。
競技はするが、あくまでも武道修行の一環としての競技であり、それが柔道の全てだとは考えていなかったし、そうなるべきではないと考えていた。

しかし、現実的には、乱取り試合で勝つことだけが優先され、、型は形骸化して、柔道はスポーツとして世界に広まった。

晩年の嘉納師範はこれを見て、「今の柔道は、もはや私の作った柔道ではなくなった」と嘆いたという。

私はもう、柔道をあきらめることにした。
どこに行っても武道としての柔道を教えてくれる人はいないし、それを体現できる人はいないと思った。

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