見出し画像

老子私的解釈

真の徳というものは、深い谷で流れている川みたいなもんだ。

広い徳というのは、みんなにとって物足りないように見える。
そして、その徳を実感することがあっても、その場限りのことのように見える。

いつの時代も、真実は、最初、汚れて見えるものだ。

ものごとの本質は移り変わっていく。
その場限りの狭い了見では、真実を見失う。

あまりにも広くて大きな四角い場所は、角が見えない。
あまりにも大きな器は、いつまでも完成しない。
あまりにも大きくて高い音は、小さくしか聞こえない。
あまりにも大きいものは、目に見えない。

道も同じだ。

あまりにも大きいので、姿が見えず、名前のつけようもない。

人間ごときのちっぽけなものの認識とは関係なく、確かに存在している。

いいなと思ったら応援しよう!