活字の波長
気がついたのだが、私はどうやらその時読んでいるものに大いに影響されているらしい。
それは特に書こうとする時に顕著だ。
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◎今読んでいる本は「アルジャーノンに花束を」
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先日まで嬉々として書いていた食べ物に対するエッセイ
https://note.mu/rintsuyazaki/m/m49b5ded35084
が書けなくなった。
たしかに、文章の消費カロリー(私の)は高めだし、それまでも食べてすぐに文章を練り、頭の中であたたかいうちに出力するような慌ただしさはあったのだが、ともかく食べることは好きだし、文章にしておくことで後から読み直してにこにこすることができるのでなかなか楽しい作業だった。それが突然難しくなったのである。
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原因は私の気持ちが低い位置で落ち着いてしまっていることだ。
なんともいえないかなしみと、やりきれなさと、くたくたになったあとの妙に呆けたがらんとした感情で胸がいっぱいで、とても食べ物に対するあけすけな幸せを綴ることができない。
そもそも私はじっとりと根を張ることで有名なおうし座である。自分の立ち位置は変えず生きてきた根暗な根性なしであることを自覚させられる。幼いころのやっかみとか、知らぬゆえの残酷さとか、その頃の無駄に純粋な思いを捨てられない自分に対するいらだちを思い出す。
少しは成長したと思える日は来るのだろうか。
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ひとまず、残り数十ページを読んで、大嫌いだった読書感想文の真似事でもしようかと考えている。
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ちなみに、以前は阿川佐和子さんの「残るは食欲」を読んでいた。
食べ物本だと最果タヒさんの「もぐ∞」も好きです。