カッとなるお砂糖と、お砂糖と、お砂糖
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◎小川洋子「シュガータイム」を読んだ
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私にとってコンビニのパンコーナーに並んでいる袋パンのうち、裏の「名称(品名)」が「洋生菓子」とか「和生菓子」と書いてあるものへの信頼はとても厚い。
とはいえ、洋生菓子と書いてあるものは大抵ケーキとかドーナツとかのおやつだし、和生菓子と書いてあるものは大抵蒸しパンなのだけど。
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今朝食べたのはNewDaysの「ベルギーチョコタルト」。
手のひらに乗るくらいの丸型で、ココアのザクザクした土台の上にしっとりとやわらかいチョコレート生地がのっている。
白い粉砂糖が表面にかかっていて、かぶりつくと唇についてざらざらする。
とろりとした表面からザクザク(これが本当にザクザクしているのだ)へと進む食感が楽しいし、チョコレートはこってりして美味しい。
なにより頭にパッと上っていく糖分は、なんとも頼りになり、ぼんやりした気持ちに喝を入れるのにふさわしい。
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「シュガータイム」の主人公は、淡々と尽きぬ食欲と日々を過ごす。
彼女はただ透明な食欲に身を貸しているように客観的に食べ続ける。丁寧な文字で綴られる日記には、信じられないほどの量の食べ物が記されていく。
四月二十二日(火)
フレンチトースト四切れ(シナモンをかけすぎた)
セロリのサラダ 醤油ドレッシング
ほうれん草のココット
ハーブティー(口に残ったシナモンの香りを消すために)
草加せんべい五枚(ハーブの匂いを消すために)
納豆と胡麻のスパゲッティー
ドーナツ七個
キムチ百五十グラムくらい(ドーナツが甘すぎて胸焼けしたから)
フランスパン一本(口の中がひりひりしたから)
ハヤシライス二杯
フライドチキン八本
ソルトクラッカー一箱
あんずジャム一口
---小川洋子「シュガータイム」より
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食べるという行為は不思議だ。
無意識でも行えるし、意識的にもとれる。
食べる量は各人の習慣によるところが大きいし、それによって体の構造すら多少変化する。
しかし誰にとっても変わらないのは、その瞬間、味が脳を支配することではないだろうか。
好みにせよ、好みではないにせよ、私たちは味蕾からの信号を全く無視することはできないし、結果味わったものを無視することもできない(と思う)。
同時に、気持ちをどうしようもなく左右するものなのだと思う。
「シュガータイム」の主人公は気持ちを食にうずめていたかったのだろう。
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食事はどれも気持ちを変えさせてくれるけれど、
特にお砂糖のそれは、麻薬に近い。
砂糖の甘さは脳にドーパミン(快感や多幸感に関わる)を放出させるのだが、多く摂取した場合、それを受けとる受容体に変化をもたらすそうだ。これを俗に砂糖中毒と呼ぶ。
私にも心あたりがある。
甘いものを食べたくなるときはどうしても気分の上がらない朝とか、どうしようも終わらない残業のときとか、低気圧のせいで頭痛が止まらないときとか、逃げたくても逃げられないストレスからの逃避である。
甘いものをとったあとの、ふわっと体があたたまるかんじとかは悪いものでないと思うのだがなあ。
きなこねじりをかじりながら。
つやざき