ラストドリーム 第2話

幸福研究所は町の外れにある。昭和の匂いがするコンクリート塀に囲まれた2階建の箱。昔は工場だったのかもしれない。
どんなに晴れた青空のもとでも、この建物周辺は、どんよりしている。くすんだ薄墨でおおわれたように建物の輪郭がはっきりしない。
まるで何も稼働していないことを証明するかのように空気が死んでいる。背景にはこんもりと暗い木々が茂っていた。

建物の出入り口は3箇所ある。塀を抜けて最初に目に入る入口には簡素な表札のようなものが打ち付けてある。古びた板にべったりと黒いペンキで「幸福研究所」と手書きの明朝体で書かれていた。さらにドアには四角の中に収まったAの文字が直に書かれていた。
外塀の正面向かって右側には入口Bがある。塀に直接車庫のシャッターが造られており、右側にはタッチ式センサーが埋め込まれていた。こちらはシャッターに直にBとペンキで書かれている。

ファーンファーン…
入口Bのセンサーが監視室へ到着を知らせる。
「圭ちゃんブザー鳴ってるよ?」
圭はモニターを注視しつつも、ギロッと目だけを右に向けてにらみつけた。別に右側に有がいるわけではない。でも心の中で
(っるさいな。わかってるし。それよりちゃん付けで呼ぶな。今日もキモイわ)
そう毒づきながらも、平常心トーンで応えた。
「了解です」
圭がスイッチボタンを触ると外側のシャッターがスーッと上がった。この古びた施設の物とは思えないほどシャッターはスムーズで音もほとんどしない。

ぽっかりあいた暗い入口に黒いステーションワゴンがバックですべりこむ。ほどなくシャッターが閉まる。
圭は注意深く決められた人数以外が入り込まなかったか確認した。
運転手、介添人2名、クライアント本人。計4名。
最少人数にしてフル。もちろん、それぞれの人間の手首にはデジタルコードがプリントされているので、モニター上は管理できている。
しかし目視をすることでより確実に業務は遂行できる。何事もダブルチェック、トリプルチェックは大切だ。

シャッターが閉まると同時にガレージ内の建物側の入口が上がる。こちらは鋼鉄の重い頑丈な板。
車から降りた介添人二人は車のハッチを上げ、入口から伸びてきた厚いステンレス板を車とジョイントさせる。
運転席の男が簡易ベッドの固定装置をoffにすると、今までガチッと車体に留められていたベッドの上部がクライアントごと20㎝ほど浮き上がる。下部から小さな車輪が見える。
ベッドの上部は載せられた人間ごとゆるゆると建物内部へと流れていく。
介添人は万一のルート外れに備えて、じっと左右に直立不動。一連の動きを凝視している。
暗闇にクライアントが吸い込まれると鋼鉄の入口が静かに降りる。この装置はまるでダムウェイターだ。運ぶのは料理ではなく、人間だが。

介添人は車に戻り、外のシャッターが上がると音もなくスーッと戻って行った。

施設内の監視室では有がコーヒーを両手に1つずつ持ち、片方を圭に差し出す。
「記念すべきNo10000のクライアントも無事収監できたね」
(ナニが記念すべき、だ。番号に意味なんてないだろ)
そう思いながら圭はコーヒーを断るため片手で"NO "の仕草をした。
「申し訳ありません。コーヒーは苦手なので、せっかく入れていただいたのですが、遠慮させていただきます」
コーヒーと言ったが、紅茶にしろジュースにしろ、圭が有から何かを受けとることはなかった。
受け取るのはデータと書類だけだ。

「あのさぁ、圭ちゃん」
(ちゃんって呼ぶな、ちゃんって!)
「僕が配属されて、もう半年だよ?そろそろ、その慇懃無礼な敬語やめない?」
「大体ここでは圭ちゃんのが先輩なんだし」
「女の子は愛想良くないと好かれないよ?損しちゃうよ」
(けっ!男だろうが女だろうが愛想は良い方が好かれるだろうよ。現に愛想の良いオマエはみんなに好かれてるだろうしな)
モニターを睨んでいた圭は、邪念を祓うように数回まばたきをした。

クライアントが入室した部屋には(部屋と言うよりは、ただの四角い白い箱だが)白い水蒸気状の霧が充填される。
クライアントは研究所に運ばれる前に通常の睡眠導入剤が打たれていた。

やがてこの世の眠りから永遠の眠りへと運ばれていく。

モニターが明るくなり、今横たわっている男の顔とほとんど変わらない姿が映し出された。
通常、最後に見る夢として映し出されるのは本人が過去、一番幸せだと感じているシーンだ。つまり若い頃の姿が映し出されることが多い。だが今モニターに居るのはまるで昨日の男の姿に見えた。

70代とおぼしき男は小さな自分の部屋にいた。

「ご苦労さまじゃったやなぁ、チロや」
豆柴系の雑種に見える老犬を膝に抱き、優しく頭を撫でながら男は声をかけた。
何度も何度も頭を撫で、体をさすり続けたが犬はピクリとも動かない。
「楽しいことはみんな、おまえと一緒じゃったやなぁ」
空中をスクリーンにして思い出を映し出すように、男は懐かしい目をした。
「春にちっさかったチロと会った時ははぁ、おまえはやせっぽちで今にも死んでしまうかと思ったさぁ」
「夏のあっつい公園では噴水で大はしゃぎしとったよなぁ」

「秋は枯れ葉の山にもぐってワシャワシャぐるぐる、まぁ頭おかしゅうなったかと心配したがー」

まるで映像を見ているかのように男は目を細めた。

「そんじゃが、冬に雪が降った時が一番じゃったろ」

空から降りてくる白いものをピョンピョン追いかけるチロが見えるようだった。

「鼻に雪がとまると寄り目になっちょって。よぉ、くしゃみしちょったよなぁ」

チロとの思い出をずっと語りながら男は半日過ごした。そして小さな段ボール箱にチロがお気に入りだった毛布を敷き、チロをそっと納めた。
かすみ草の花をチロの周りに飾り、自分と犬の写真もそっと入れた。
移動火葬車が来ると男はそっとふたを閉めて箱ごとチロを手渡した。

(ありがとうよ、チロ。ありがとう)
(オレと家族になってくれて、ほんとに幸せだったよ)
(チロを見送ることができて、もうナンも思い残すことはないからなぁ)
(20年、ありがとな、チロ。ありがと)…
男の意識と記憶はここで終わる。

フッとモニターに闇が訪れる。

数分後、画面が明るくなり男の人生の断片が映し出される。

七人兄弟に両親、祖父母の11人が農村の小さな借家に暮らしていた。男は次男で小さい頃から妹や弟の世話をしながら、畑仕事も手伝っていた。
農地を借りて畑をやっていた小作農の一家は、いつも貧しくいつまでも貧乏から抜け出せない。

男は中学を出ると上京し、工場で働き始める。
高度成長期となり、それなりの給料ももらえた。
しかし大人しく学のない男に、社会で生き抜く術を学ぶ機会は与えられなかった。
同僚や上司の失敗を押しつけられ、工場を追われる。

路上生活をした時期もある。
反社会的な連中に囲われ、生活保護詐欺にあった時期もある。3段ベッドの粗末な1段のみが男の居住空間だった。もちろん本人は搾取されているとの自覚はない。それどころか、連中に感謝すらしていた。

支援団体の計らいで住む場所を確保できたのは50も半ばのことだった。
日雇いの仕事をしながら1日1食でしのぐ日々の中、チロと出会う。

そこからは淡々と同じ日を繰り返した。生まれて初めての穏やかで満ち足りた毎日。
20年という月日が流れ、チロが天命を全うする。男はペットの移動火葬車を呼び、チロを渡した。

その別れの日が男にとって人生で一番幸せな瞬間になるとは、本人も予想していなかったかもしれない。

最後に見る夢は自分で選べるわけではない。無意識下で感度の高い思い出が抽出されるだけ。誰も予想できない。

男は隣に住む似たような境遇の男にあらかじめ頼んでいたことがある。
自分の部屋から壁をノックする音がしない日があったら、ニコニコ相談所に連絡してくれと。
チロが死んで4日後、隣の男が部屋を覗くと、本人はほとんど意識がなかった。
ニコニコ相談所へ連絡すると、すぐに相談員が二人駆けつけた。人のよさそうな中年の男女。
隣の男に
「後はおまかせください」
と連絡への礼にペコッとお辞儀をして去って行った。
次の日、黒塗りのステーションワゴンがチロの飼い主を連れて行く。

研究所のBルームでは無事に処理が終わり、次のクライアントを迎えるためクリーンアップが始まった。

幸福研究所は今日も通常運転だ。

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