死生観を持つこと。

エリザベス.キュブラー.ロスというアメリカの女医の人が、生前、死ぬ瞬間という著作を残していた。
他にも彼女の本は、死を目の前にした患者たちにインタビューをして、死ぬということがどういうことなのか、死後の世界はあるのか、魂は?と追求する中で見えてきた事象や共通する段階について検証されている。

アユルベーダでは、魂は永遠のもの。
死んだとしてもそれは永遠に残り続ける

ということが言われてきたのだけど、
自分は実は看護師時代に看取りの経験はなかった!
なので、これから看護師として臨床現場に戻っていくであろう中で、死を迎える人の看護については自分なりの看護観は持っておきたいと思うし、当然なんだけど、
覚悟は必要だって思う。

初めて出産をしたとき、子供が胎内にいるとき、
今までにない感覚というか、神秘みたいなのを感じてきた。
不妊治療して、やっとやっと子供が宿ったときに、それこそ現代医学では検証できないような何か、
出産の時だって、勝手に(自然に)生まれてくることのメカニズムというか、物凄い感じに圧倒されまくったのだけど、
あれだけの陣痛の痛みもただその波を乗り越える、
命の誕生、生きる息吹みたいのがあるのだとしたら死ぬときっていうのは、どんなメカニズムなのかなと。

痛みとか苦しみっていうのはマックスになると、
脳内にアドレナリンとか分泌されるから乗り越えることが出来るっていうけれど、
実際にしんだことのある人の話というのは存在しないから
→意識が失くなって生還した人の話はよくあるけど。

痛み苦しみの話じゃなく、
死ぬことの意義というか。。

死ぬことは怖い!!
そんなイメージを持つことも多かったりするのかもしれない。

谷川俊太郎さんの詩が好きなのだけど、
生きること、について深く表現されている。

’死を含まない生きる、というのはナンセンスだと思うんですよねー。’

最近、世界の人口がなにかの力によってあっけなく減ってしまうことについて、死ぬこと、というのもどこか日常的、うまくいえないけれど、
そんな状況の中で自分が生きることの意義みたいな。

でもなんとなく感じること。。
死に方は生き方、どこかで目にしたとき、ハッとした。
在り方、なんて言ってもいいのかもしれない!

日頃意識することは中々ないかもだけど、
自分が死ぬこと、どんな風に最後を迎えたいか
死ぬことって怖いだけなのか?

考えてみることで、これからの生き方の指針みたいのが見えてくるような気がしてる。


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