40歳なりました。

今日は、誕生日。
中身伴わないまま、いつの間にか。
特に変わりはないのだけど、ふと思うことをせっかくだからつづってみようかな


つながってくださってることにただ、感謝。
皆さん、なんて懐が広いのだろうと。

もう数年の付き合いになるアユルベーダの先生なんてもはや、半分知人みたいなものだと思ってるし(^^)
どこか見栄とか理想だけは高くて、いろんなことに手を出して

30代を振り返る。
看護師としての自分に挫折して、色々と失敗もして初めて働いた病院を退職して、
合間にネパール行ったり、看護師以外のことをしてみたり。看護師の前は国際文化とか海外興味あって大学まで行って。

ネパールはエイズの子供のボランティアだったけど、初めての途上国、でもここに来るために生きてきたのかなって思うくらい感慨深い旅でもあって。

日本にいて、なんでも自由に選択できる自由があることを知ったり、反面日本人が忘れていた精神的な豊かさについて考えたり、ネパールはインドの隣の国で生活にスピリチュアルが溶け込んでいること、ヨガやレイキ、マッサージなどの自然的なケアを学べる施設もあったりして、こんな世界があるんだ!と忘れられないじかんだったり。

そしてイラン人の旦那と出会い、結婚前提で何度か行き来をして、電撃結婚。

これがまた苦難の始まりで、互いの価値観のすり合わせやコミュニティ付き合い→今でも完全には割り切れてないし、それでも良いとしている

最初は旦那も若くはないし、子供なんてと思いつつも、中々授からないままにいよいよ不妊治療すること数年、最後にしようと思ったところでの妊娠判定。

夫婦関係もなんだか色んな邪魔が入ってるように感じて、人間関係もぐちゃぐちゃで限界。旦那がイランいってる間に2度目のネパール

アユルベーダ日本人医師との出会いもあって、アユルベーダガッツリ学び始めて、満たされなかったものが変化してきて、自分を本当の意味で知るきっかけにもなった。

子供の妊娠もアユルベーダケア実践したり、妊娠そのものもこれで良かったのかわからなくて、旦那のコミュニティつきあいも煩わしく感じたり、産前うつみたいになってた。

信頼できる助産師さんやドゥーラさんとの出会いもあり、初めてのお産に向けて、自分を尊重することや医療介入でなく自然のチカラを生かして出産する意義を探り、最終的には完全ではなかったけれど、出産までのプロセスをとても意味深いものとして体験できたことは誇りです。

30代の最後に息子が来てくれた。壮絶な産前産後、あっという間に過ぎてしまって寂しいのだけど、40を迎えるにあたり、改めてこの経験こそが原点だったと感じたくらい。

腰が重いけど、断言します。40歳迎えたこれから、もっと自分の直感とかスピリチュアルな所も尊重して生きていきたい。

お産が生き方というなら、死に方も生き方、最近深く探っていきたいとよく思うから。

どれだけ現世で過ごす中で、自分ができることなんて他の人に比べたら全然なんだけど、ホリスティックに生きるということを追求していきたい。周りや人に譲ってしまうところ、もう一歩自分らしく有りたいと思うから。

既に先を行って体現している人から吸収したいし、いつか自分も還元できるように。。

どのくらいできるかな??


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?