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最後の銭湯ーたった1分で読める1分小説ー

男の背中には、見事な龍の刺青が入っていた。

ここは銭湯だ。男は昔悪の道に入っていた。この刺青はその名残だ。今は足を洗い、まっとうな生活を歩んでいる。

男の隣では、小さな子供が頭を洗っている。最近、シャンプーが目に入るのを怖がらなくなった。

風呂から出ると、老人が微笑んだ。老人は長年この銭湯を営み続け、今日が最後の営業日だった。

刺青があると、他の客に迷惑がかかる。そこで老人は営業時間が終わると、この親子を銭湯に入れた。

汗まみれで働いた後に、息子と二人きりで広い風呂に入る。これが男の何よりの楽しみだった。

男は老人に向かって頭を下げた。
「今までありがとうございました」
「新しいアパートには引っ越せたかい?」
「ええ、おととい……」
偶然だが、男が引っ越しする時期と銭湯の店じまいが同じだった。
前の家は風呂がなかったので、男はほっとした。

そこで男は気づいた。
「まさか俺が金を貯めて風呂付きの家に引っ越せるまで、銭湯を閉めるのを待ってくれたんじゃ……」
「偶然さ、偶然」
老人が目尻のしわを深めると、男は目頭が熱くなった。

息子がコーヒー牛乳を持ってきた。
「父ちゃん、最後だから飲もうよ。
俺、おごるよ」
男は節約のため、いつも自分が飲むのは我慢していた。

「……じゃあお言葉に甘えるか」
男は、冷えたコーヒー牛乳を口にした。

「味はどうだい?」

男はしみじみと言った。
「コーヒー牛乳って、こんなに心に染みるんだな」


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