旅すると、空を仰ぎ、風を感じることが多くなる。そんな時、私はフランス・クリダ先生のことをしばしば思い出す。 それは熱情ソナタの第3楽章に差し掛かった時だった。クリダ先生は高らかに言った。「風を感じて。ベートーヴェンは風の中にいるのよ」と、並列したピアノで弾き始めた。すると音楽は、その場の空気もろとも、ヴァルキューレたちが岩山に向かうような緊迫した臨場感がみなぎった。いつもそうだったが、先生の指からは風が起こり、気流が世界を作り出していた。 彼女がアントワーヌ・ブールデ
アジアやヨーロッパでバックパッカーのようなことをしていた学生時代、滞在先からよく葉書を出していた。ヒッチハイクで行った先、コンクールやコンサートで訪れた先、困難を伴った旅先など、さまざまなところからさまざまな人に送った。街角でポストを見かけて、そんなことをふと思い出した。友情や感謝は、日常から離れたところで、新鮮な言葉となる。 旅に出ると、筆の走りが良く、ひとり饒舌になる。それは昔も今も変わらない。 コロナ禍から3年、始めようと準備しながらも重い腰が上がらないままだっ