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[1] 大学院を休学して実家の八百屋を手伝うことにした建築学生の散文
初めまして
タイトルの通り、大学院を休学して八百屋を手伝うことになった建築学生です。
このnoteは、僕の一年間を「面白がってもらう」ために書くことにしました。
それは、人が苦労している姿は滑稽なものでもある一方で、
興味や好奇心を掻き立てるものでもあるからです。
この散文では、八百屋を取り巻くあれこれを僕の目線で文章にして伝えます。
まず最初は、当事者である僕自身のことを知ってもらいたいと思ったので
ささっと、人生を振り返ります。
生い立ち
僕は、高知県の高知市で生まれた後、
両親が母方の祖父母の実家(八百屋)近くに家を建て、その地域で育ちました。
その地域というのは、高知県本山町という中山間地域です。
街には保育園が1つ、小学校が2つ、中高一貫校が1つあり
僕が小学校を卒業した時、同級生は1人しかいませんでした。
中学校の卒業式は20人前後でした。
本山町が、なかなかの過疎地域であることが伝わったと思います。
本山町を離れて
高校進学の際、地域を離れ県内で建築を学ぶことができる高専に進学しました。
当時その高専は、入寮が義務付けられており、そこからは寮生活でした。
ですが、寮独自の生活態度採点方法「ブラックポイント」の蓄積と
先輩への愛想の悪さが相まって2年の冬には退寮する運びとなり、
そこからは高専近くの二階建てアパートで一人暮らしを始めました。
建築の才能があると自惚れ、そして一人暮らしの孤独に気づかず拗らせたまま
過ごした、あの期間は無駄じゃなかった、今はそう思うようにしています。
高知をはなれて
その後、大学に3年次編入という形で進学しました。
最初の2年間、まだ拗らせたままの人間だった僕は
たくさんの人に迷惑をかけました。
設計も、人間関係もうまくいかず、大学をやめようかとも思いましたが
教授と相談し退学はせず、一年間ゆっくり過ごしました。
その期間にはいくつかのコンペに作品を出したり、引っ越しをしたりしました。
提出したコンペの1つは、賞をいただくこともできました。
大学院受験から
元気がついた勢いで、外部の大学院を受験しようと思い、勉強をしました。
自分なりに最善は尽くしたつもりでしたが、残念ながら落ちてしまいました。
その後、在籍してた大学の大学院試験を無事合格させていただき、
今は学部の卒業を控えています。
ここまで、僕自身の生い立ちを話してきました。
ざっくりとこんな感じの人生を送ってきた建築学生が
4月から実家の八百屋を手伝います。
この絶妙な、うまくいって無さが皆さんのツボにささってくれて、
この八百屋での1年間を暖かい目で見守ってもらえたら、すごく嬉しいです。
今後も「大学院を休学して実家の八百屋を手伝うことにした建築学生の散文」は
不定期で、八百屋の状況や僕の心情などを更新していきます。
それではまた、次の散文で。
(2022/03/05)
八百屋
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筆者
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