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[7]大学院を休学して実家の八百屋を手伝うことにした建築学生の散文

どうも、大学院を休学して八百屋を手伝うことにした建築学生です
このnoteは、僕の1年間を「面白がってもらう」ために書き記しています

忙しさにかまけて少し期間が開きましたが、
気を落とさずに書き進めていきたいと思います

今回のnoteは、「読書の主客に対する効果」と「社会の一員として働くと(仮)」みたいなところです

・読書の主客に対する効果

大学4年生の時期には何かしらの本を常に読み進めておくように心がけていましたが八百屋を手伝い始めてからは、時間をうまく作れず読書から離れていました

そんな中、祖母を市内の整形外科へ連れて行くというイベントがあり
診察の待ち時間に読書をしてみました

読み進めた本は同級生が研究室でオススメされたと教えてくれたこの本でした


この本の内容は決して今の僕が直面している悩みや課題を解決してくれるものではありませんでしたが、読書を終えた後は2,3日の間は頭がスッキリしていたように思います

なんでだろうなと、考えて浮かんできたのは
読書が思考を主観から客観まで引き剥がした ということです

4月から始まった八百屋での生活は、
想像していたものよりも何倍も地道で、ハードで、ハードなものでした

日々これはこっちの方が、あぁあれもやらなくちゃと目の前に迫るタスクを
なんとかこなすその生活が、思考を主観に凝り固めていたのです

読書は日常的に触れることのない論考や文化、他者の意見に触れることで
思考を主観から引き剥がし、客観まで弾き飛ばしてくれる
そんなことを考えたりしました

・社会の一員として働くと(仮)

実家という特殊な環境ではありますが、事実上は企業の一員として働き始めて、
学生の頃に比べると政治・経済など、社会への関心が高まっていることを感じます

僕は高校2年の冬から一人暮らしをしていましたが、テレビに必要性を感じられずその頃からテレビ無しの生活を選択していました

特に不自由はなかったですし、
twitterやネットニュースで最低限の時事は捉えられているつもりでした

でも、高知に帰ってきてテレビ・新聞・他者のいる生活を送ってみると
自分の今までの生活が、いかに社会の情報を遮断していたのかがわかりました

テレビでは不必要な情報が多く取り扱われていますが、
必要な情報も相応に取り扱われていることに目を向けていませんでした
それは新聞も、他者との会話も同様です

 街に本屋がなくて何も思わないのか

 移住促進・町内人口増加の先に何を見据えているのか

 誰のための公共事業なのか

国と国民で考えるとスケールが巨大で、
すんなりと自分ごとに落とし込むことは容易ではありませんが、
町と町民で考えると関心を持つことの重要性をはっきりと感じることできます

関心を持ち始めただけで、まだ何も確かなことはありませんが、
次に一人暮らしを始めた時にはテレビを継ないで、新聞を取ることを決めました。


今後も「大学院を休学して実家の八百屋を手伝うことにした建築学生の散文」は不定期で八百屋の状況や筆者の心情を更新していきます。

それではまた、次の散文で。
(2022/07/05)


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