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20%が今の自分の100%
友人の自己分析の手伝いとして、取材感覚でお話を聞いてきました。
その中で、しっくりきた言葉を見つけたので、勢いのまま書いておきます。
◇◇◇◇◇
その友人、彼は自分を完璧主義者と言いました。他人に見せる部分は常に100%でいたい。
そして彼は、就活のために、自己分析をして、ES(エントリーシート)を書かなければいけなかった。自己分析なんて難しいこと、1回じゃ終わらないし、1回目の文章が良い文章になるわけがない。でも、彼は1回目でさえも100%でいたいので、文章修正をされること・しなきゃいけないような出来で見せることが辛いそう。
そんな彼に、私は、
「100%に行くまでは、20%、40%、、、ってステップ踏まなきゃいけないんだから、1回目に書いた20%は、1回目にとっての100%ってことじゃない?」
と言いました。
1回目でいきなり100%にいける超人は、なかなかいないので、まずは、20%まで行くところが目標でいいんだと思います。
つきなみな言葉で言うと「その時々で、ベストを尽くせ」ってことなのですが。
「20%が、今の自分の100%」
そう分かって取り組めば、彼は完璧主義者である自分を否定することなく、挑戦できるわけです。
◇◇◇◇◇
私がこのことを、わざわざこうして書いておこうと思ったのは、偉そ〜に言った自分自身が、その考え方を実践できていないなと、痛切に感じるからです。
私はイラストが趣味で、デザインを仕事にしたいと思っています。
そしてよく、プロのイラストレーター(いわゆる神絵師)やデザイナーと自分を比べて絶望しています。
実際に働いたこともなければ、まだまだ人生の終わりでもなんでもないし、始まりだし。
現時点が、私の理想とする100%じゃなくても、なんら問題ない、というか100%じゃなくて当たり前なのに、つい100%を夢見て、理想と現実とのギャップにものすごく沈んでしまいます。
この先きっと成長できる、40%、60%、80%と段階踏んで、きっといつか100%になれると思えれば、こんなに絶望したり、嫌になってしまわないのになと、気付きました。
◇◇◇◇◇
一応補足しておくと、20、40、60ときれいに数字を積み重ねることだけが進み方ではなく、40%まで来たところで別の階段が魅力的に思え、道を変えることもあると思います。
その階段も、前の階段の40%に来たからこそ見えた景色であり、よく言う「今までの人生、無駄じゃなかった」の意味の一つは、そういうことのはずです。
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私は、将来の80、100%の私からしたら、ちっぽけな20%でしかないかもしれないけれど、ただの20%ではないので、100%の20%なので、堂々と生きていきたいな。
自己肯定感あげてこ!!
(2019/09/20)