「良いデザインとは何か」を考え続けている。

↓こんな記事を書いていたのがつい3ヶ月前のこと。

最近はというと、ちょっぴり分かってきた。かも。

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何が分かってきたかというと、自分が悩んでたデザインの良さってのは結局、価値基準が自分の中にしかないということ。
なので、これはデザインの話というか、心の話。

※さらに言うと、ある特定場面にとっての良いデザインの話ではなく、自分が感じる良いデザインの話であるため、とても概念的な話ですこれは。Ex) 五輪のエンブレム問題などは全っっっっっっっっっっく別の話!また今度!


良いデザインとは。

デザインにウケるデザイン、有名なデザイン、賞を獲ったデザインを良いデザインと捉えるなら、その人が「プロの意見を重要視する人」ってだけ。

私の母みたいに、そういうことに興味がなくて、誰もやらないような分野をターゲットにしたデザインに価値があるというなら、それはただ母が、純粋にデザインが好きだったわけではなく、ただ、「困っている人を助けたいという思いが強い人」だっただけの話だ。

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だからと言って、有名なデザインが100%素晴らしいわけではないし、母だって単純にかっこいい作品に心打たれることもあると思う。デザイナーが受賞しか頭にない状況で作品を作ってるわけでもない。
そこで気付いたのは、結局、良いデザインとは「自分の中の基準」でしか判断できないということだ。

「自分の中の基準」の形成要因はいろいろとある。

①好き嫌い、好みの問題
②自分が解決したい問題に沿うか、共感の問題
③学習や経験によって広がるストライクゾーンの問題

(まだまだあると思うけど)

いろんな判断の仕方を、気づかないうちに自分の中に持っていて、歳を重ねるごとにその判断法は洗練され、自分らしく研ぎ澄まされてくる。
ただ、悪く言えば、新しいものに対する柔軟性を失うということなので注意したい。

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私は基本的に自信がない。プロのデザイナーが審査して「良い」と言ったのなら、その作品は「良い」んだろうな。

そう思いつつ、心から「良い」とは理解できなかった3ヶ月前のワタシ。

今なら分かる。
③の問題だった。単純に勉強不足。知らないものに対する理解がなかっただけだった。

これに気づいたのは、実は3ヶ月前にピンとこなかったデザインが、最近めちゃめちゃカッコよく見えてきたからである。

本当にびっくりするほど、以前なら ダサい・古い・意味わからない と思ってたデザインが、イケてる・逆に未来的・新進気鋭と思えたのだからもう…。人の心は容易く移れり。

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デザインを学んでると言いつつ、一部のデザインしか学んでおらず、学習範囲から外れた途端分からなくなって、「私はこんなんでデザイナーと名乗れるのか!?」と不安になっていた。

どうせそんな心持ちでいても、一生かかったって広い広いデザインの世界を理解しきることなんてできないのだから、ムダムダ。

自分の分かる範囲で判断して、デザインしていけばいいし、もしも、その判断に疑問を持つようなら──(過去記事の私みたいに)賞を取るような作品の良さが分からない、けど分かりたい!と思うなら、その作品のデザイナーの制作意図を調べるとか、“分かる”人の意見を聞くとか。いろいろな手で、ストライクゾーンを広げればいいんだ。

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それでも分からなければ、自分の好みや目指してるものとは交わらなかったというだけ。ただし、作品自体には依然価値がある。なぜなら、もちろんのこと、自分にとって価値を感じられない作品でも、誰かにとって価値のある作品であるはずだから。それは未来の自分かもしれないしね。

何かで読んだ、「その人が何を大事にしているか」が全てである、だ。それを把握していれば、日々の怒りや悩みのあれこれがスッと収まる気がする。

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私がデザインする時に、世界にとっての「良いデザイン」を探したってムダだった。そこに答えはないし、言ってしまえば、人とモノによる。

じゃあ(私にとって)「良いデザインとは何か」、それは私の中にしかない。
と言うわけで、デザインに悩んでた私はこれからも悩み続け、学び続け、視野を広げ、判断力を研ぎ澄まし続けるべし!ですな!


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(((そのものについての価値の討論は、「自分のなかの判断要因」以外に「作品がもつ判断条件」も加わってくるので(五輪エンブレムは個人の好みや、個人の倫理観の問題ではなく、国として何を選択すべきだったか、より大きな判断が要されるハズ)、今回のところはとても個人的なお話!でした!)))


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